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『《ドイツ・レクイエム》への道: ブラームスと神の声・人の声』西原稔(著) 読みました

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今回ご紹介するのは『《ドイツ・レクイエム》への道: ブラームスと神の声・人の声』西原稔(著) です。2020年9月 音楽之友社

早速レビューに入ります。以下、ネタバレが含まれます。ご了承頂けるかたのみ「続きを読む」からお進みください。

(以下ネタバレあり)

ブラームス大好きな私にとって興味深い内容が盛りだくさんで、夢中になって読みました。まずはこれほどの充実した内容を体系的にまとめた、筆者の西原稔先生に最大限の敬意を表します。自作品のスケッチ等を残さず、完成品以外は徹底的に処分したブラームスのこと。信憑性ある資料が少ない中で、西原先生は多くの書簡集(ブラームス本人ではなく相手方が保管している)を中心に調べ、状況証拠を積み重ねる手法にて丹念に追求されています。先行する研究についても、根拠が乏しいものについては無理があると否定。憶測を排除した研究は大変信頼できます。さらに今まで見過ごされてきた事項であっても、根拠を示した上で新たな説を提示。バラバラに存在する無数の点が線で繋がるのは読んでいて大変面白く、まだこれからも新たな事が判明するのでは?とワクワクさせてくれました。現地で一次資料にあたるのが難しい、日本に住むいちファンである私にとって、日本語でこんなに充実した研究に触れられるのは大変ありがたいことです。

筆者自身も述べている通り、本書は「《ドイツ・レクイエム》(op.45)の作品解説ではなく」、ドイツ・レクイエムを中心とする主に宗教的な側面から見たブラームスの創作について幅広く書かれたものでした。ドイツ・レクイエムは、それまでのブラームスが積み重ねてきた古学研究やバロック以降ロマン派までの研究、民謡の収集と分析、学んできた対位法の実践、そして聖書解釈や死生観を反映させた、まさに集大成と言えるもの。ブラームスが先人達の仕事を分析し自作品へ活かしているのは私も何となく知っていましたが、その半端ない充実ぶりには目を見張ります。また、大ヒットしたハンガリー舞曲のルーツだけでなく、ドイツ各地や諸国の民謡へは愛を持って接しているようです。さらに作曲時期が近い初期の作品はともかく、最晩年の作品に至るまでドイツ・レクイエムとの関連があるのには驚きました。そして19世紀末の時代背景と、キリスト教文化圏では必要不可欠な聖書を、ブラームスがどのように理解していたかについて……ドイツ・レクイエムの一番のキモと思われるここが、私には一番難しかったです。本書の解説がなければ「涙」や「ラッパ」が重要な意味を持つことすら知らないレベルで、キリスト教の考え方には疎すぎる私。残念ながら今の私には宗教的な面での作品や作曲家の理解は到底及びませんでした。ただ、ドボルザークが言ったという「彼(ブラームス)は神を信じていない!」(※こちらは本書には書かれていません)は、違う!と断言できます。本書を読む限り、ブラームスは大変信仰心の篤い人です。カトリックプロテスタントの違いも関係しているのかもしれませんが、きっとブラームスが信じる神はドボルザークのそれとは違うだけ。ドイツ・レクイエムは一つの集大成ではありましたが、ブラームスの信仰心は生涯にわたって続き、様々な作品にその影響が見られるようです。

本書で紹介されていた数多の事例のうち、私にとっては初耳でとても興味深かったのが、ブラームスドイツ・レクイエムより前にお作法に則ったミサ曲を手がけていた事。今まで様々な関連本を読んでもまったく出てこなかった話題なので、私はビックリ!もちろんこの頃の作曲家はミサ曲を書くのが当たり前な感じでもあり、何もおかしなことではないのですが……。その作品は、未完で最終的にブラームス自らの手で破棄された《ミサ・カノニカ》(WoO 18)。本書によると、キリエ以外が出来た段階で友人のオットー・グリム(合唱指揮を務めている)に演奏してもらうつもりで見せたところ、「アルトが低すぎてうちに限らずどの合唱団でも歌えない(大意)」とのつれない返事があり、ブラームスは指摘された部分を改訂することなく最終的には破棄。ところが、オットー・グリムが筆写しており、子孫に相続されていて、1981年(かなり最近!)ウィーン楽友協会が所有することになったそうです(ただしキリエ、グロリア、クレドは欠落)。ブラームスの生前は日の目を見なかったミサ・カノニカですが、その偶然発見された譜面とブラームスの他作品を見比べると、宗教声楽曲である《モテット》(op.74)への転用が確認されるそう。また直接の引用はなくても「低いアルト」をめいいっぱい活かした《アルト・ラプソディ》(op.53)の創作にも繋がっているとのこと。声楽曲はまだわかりますが、さらに交響曲第2番にも「鋭い影を投げかけている(ブラームス自身の手紙の記述)」(!)とのお話に私は心底驚きました。あんなに明るいブラ2に「なにゆえに悩む者に光を与えたのか」の意図がこっそり組み込まれていたなんて!ミサ・カノニカと関係するものに限らず、ブラームスは一事が万事こんな感じで、直接関係なさそうな作品にも自らの思想(聖書解釈や死生観)を織り込んでいたり、対位法をはじめとした先人に学んだ様式を駆使していたりする例が本書では色々と紹介されていました。様々な事例については今後、自分でも腰を据えて追いかけてみたいです。さらに今後新たな一次資料が発見されて、研究分析が進むことにも期待しています(ここは他力本願なのがつらいところですが)。

ドイツ・レクイエムは定型ミサ曲とは異なり、ブラームス自身が聖書から文言を選んでテキストを作り作曲したもの。ブレーメンで初演したとき、そこのオルガニストであるラインターラーから神学的な解釈によるテキストの矛盾を指摘されるも、テキスト改訂はしなかったようです。よく言われる「生きる人のためのレクイエム」にとって、そこは大した問題ではなかったのかも。ただしラインターラーは同時に、古楽に基づいた作曲手法や「語りかけるような声の表現」を褒めてもいて、筆者はこの指摘を重要視しています。ブラームスによる先人達の音楽の研究では、ロマン派のシューベルトシューマンメンデルスゾーン、遡ってバロック期のバッハにとどまらず、それより以前の古楽にまで及びます。私にとっては名前すら初耳だった作曲家を含め、多くの作曲家の作品とドイツ・レクイエムの譜例を並べてその採り入れ方(可能性を含む)が解説されていました。さらっと書きましたが、これは大変価値ある研究だと思います。また作曲時期が近い他のブラームス作品にはドイツ・レクイエムと共通の作曲手法が見られるそうで、例として複数の歌曲や連作歌曲《ティークの「マゲローネ」のロマンス》(op.33)、ピアノ協奏曲第1番などが挙げられていました。ピアノ協奏曲第1番は特に第2楽章にてパレストリーナのミサ曲との関連(古楽からの学び)が見られ、「ブラームスの旋律型の宝庫」である「マゲローネ」のロマンスにはドイツ・レクイエムに登場する旋律のフォーマットが多数!そもそもドイツ・レクイエムは、「マゲローネ」のロマンスの作曲を一旦中断して作曲されたものでもあり(この連作歌曲の第4曲の自筆譜にドイツ・レクイエムのテキストが書かれているそう!)、声楽を伴うことからも密接な関係があると筆者は指摘しています。この辺りは読み進めていて大変面白かったです!古楽を遡るのはちょっと難しくても、ブラームス作品同士の関連性は私でも追いかけられそうな気がするので、今後じっくり見ていきたいと思います。

あと特筆すべきは、ブラームスは「人の声」を重視していたこと。とりわけ「民謡」には「音楽のもっとも根源的な生命が宿っている」と考えていたようです。有名なハンガリー舞曲だけでなく、ドイツ各地の民謡を自作の歌曲をはじめピアノ曲室内楽作品に取り入れており、その他の諸国の民謡にも関心を持って熱心に研究。ブラームスを含め当時の作曲家たちが諸国の民謡について調べる際、頼りにしていた書物が、作曲家で哲学者のヘルダーが編纂した『諸国民の声』。それには、その思想を含めブラームスは強い影響を受けたそうです。影響を受けて書かれた作品は、最初期から最晩年にまで及び、それぞれテキストと譜例をあげての解説もありました。ブラームスはその他にも、民謡を編曲したり、指導する合唱団のために民謡に基づく曲を書いたり。ドイツ・レクイエムにも民謡から学んだ素朴な人の声の表現を取り入れているそうです。自然な人の声で歌われる民謡をルーツにしているからこそ、ブラームス作品には温かさや親しみやすさがあるのだと私は納得。それと同時に、これは私の勝手な考えで真に受けないでほしいのですが、ブラームスは「人の声」に「神の声」を聴いていたのでは?とも感じました。「言霊」とは日本の考え方ですが、そんなアニミズム信仰にも似た感覚がブラームスにもあったのなら、ブラームス作品を通じて私も素直に「神の声」が聞けるかも!と淡い希望を抱きました。妄想が過ぎるかもしれませんが……。

ドイツ・レクイエムは、ウィーンでの3つの曲のみの部分初演は失敗(ブラームスを敵対視する人物による嫌がらせだった説……!)。しかし、ブレーメンでの初演(第5曲のみ未完)とライプツィヒでの全曲初演は成功し、以降ヨーロッパ各地で演奏されてきたそうです。宗教合唱の場合、それぞれの地域の音楽協会や合唱団との活動と結びつく必要があり、交響曲の連続演奏などとは違う難しさがあるようですが、そんな障壁を超えて社会現象ともいえる支持を得たとのこと。これがなぜなのかは「音楽作品の分析だけでは解明できない」「たんに歴史主義という括りや復古主義では説明できない」として、筆者は明言を避けています。終盤では、ドイツ・レクイエム後の創作におけるブラームスの宗教思想(死と魂の問題を追及)についてや、同時期(19世紀後半)の宗教音楽(主にリストとブルックナー)について、やや駆け足で解説。結語では、「社会に対して身構えることを余儀なくされた」ブラームスの「深い孤独と魂の不安」に触れ、それが彼を聖書の世界へ誘ったのでは?と考察しています。

私は本書を興味深くすべて通読し、今の自分なりに咀嚼しました。ただ、ドイツ・レクイエムブラームスのことをきちんと理解したかと問われると……本書を一読してもなお、正直「わかりません」。ちんぷんかんぷんという意味では無く、無限に広く深い世界の一部を垣間見ただけでわかった気になってはいけないという意味で。むしろ「わかってやろう」なんて考えることすらおこがましいと思えてきました。それでもほんの少し背景を知ったことによって、私はブラームスをますます好きになり、ドイツ・レクイエムをはじめブラームスの作品すべてがより一層愛おしくなりました。やはりブラームスを一生かけて追いかけたい!全容を把握して理解することは到底出来ないけど、少しでもその精神に近付きたい!これが読後すぐの率直な気持ちです。今回理解が及ばなかった事(山ほど!)でも後から見えてくることはあるはずなので、本書は今後折に触れて読み返したいと思います。

もちろん誰しも音楽を「感じる」ことはできるわけで、私を含む一般の愛好家はそれでいいのだと思います。たとえほんの少し知識が増えたところで、音楽をより良く聴けるかというのは別問題。ましてや音楽を答え合わせのように知識と照らし合わせて分析チェックする趣味は、少なくとも今の私は持ち合わせていません。もとよりまっさらな気持ちで素直に感じても、ブラームスは素敵です。ドイツ・レクイエムだって、難しいことは抜きにしても、素朴な響きの純な美しさやブラームス「らしい」バスの効かせ方、そして何より素朴でまっすぐな「人の声」が素敵!私が今後ドイツ・レクイエムを聴く際は、ブラームス自身がそうしたように「人の声」に耳を傾け、そこに自分なりの「神」の姿を見いだすことができたらいいなと思います。


今回のドイツレクイエムの著書との姉妹本で、同じく西原先生による『ブラームスの協奏曲とドイツ・ロマン派の音楽』のレビューは以下にあります。ブラームスの4つの協奏曲を中心に、「ブラームスの響き」の源を探る研究は大変興味深いものでした。今回のドイツレクイエムの著書と同様、こちらも今後折に触れて読み返したいと思います。

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2021年に書いた弊ブログ記事「ブラームス『美しきマゲローネのロマンス』op.33 を聴いてみる」。今回の著書にてドイツレクイエムとの関連が解説されていた、連作歌曲『美しきマゲローネのロマンス』(ティークの「マゲローネ」のロマンス)op.33もまた、キリスト教の考え方と密接な繋がりがあるようです。

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2020年に書いた記事になりますが、「ブラームス回想録集』全3巻 天崎浩二(編・訳) 関根裕子(共訳)」のレビューも弊ブログにあります。作曲家を直接知る人達による回想録は、「人間ブラームス」の魅力満載!そして当時の音楽文化全般についても耳よりな情報が盛りだくさん。ドイツレクイエムの自筆譜は種類がバラバラの五線譜に書かれていた(当時ブラームスは貧しく、知人に五線譜を借りるしかなかったため)エピソードや、ブレーメン初演(第5曲を除く)の詳細なレポートもありました。

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最後までおつきあい頂きありがとうございました。