自由にしかし楽しく!クラシック音楽

クラシック音楽の演奏会や関連本などの感想を書くブログです。「アニメ『クラシカロイド』のことを書くブログ(http://nyaon-c.hatenablog.com/)」の姉妹ブログです。

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『ルードウィヒ・B』手塚治虫(著) 読みました

今回の読書感想文は『ルードウィヒ・B』手塚治虫(著) です。手塚治虫先生の逝去により、未完の絶筆となった作品です。

 

ルードウィヒ・B 1 (潮漫画文庫)

ルードウィヒ・B 1 (潮漫画文庫)

 

 

私が手元に持っているのは「潮ビジュアル文庫」の全2巻。既読の漫画ですが、今回レビューを書くにあたり読み返しました。

タイトルからおわかり頂ける通り、ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェンLudwig van Beethoven)の物語です。いわゆる伝記ではなく、架空の登場人物(フランツというよくある名前の貴族)が密接に関係するフィクションになっています。なお「ルードウィヒ」という表記については、巻末エッセイに簡単な解説がありました。

以下に本の感想および個人的な考えを書いています。今回はややネタバレが多いです。既にお読みになったかたおよびこれから読む予定でネタバレは気にならないかたのみ、「続きを読む」からお進みください。

続きを読み進めてくださる皆様へおことわりです。感じ方は人それぞれですので、私の考えはあくまで参考程度にとどめて頂けますようお願いいたします。また私は育った家庭の考えで漫画や小説を子供の頃に読ませてもらえず、親元を離れてから少しずつ読むようになったクチです。手塚作品も指折り数えるほどしか読んでいません。そのため読み方や解釈が一般的ではない部分があると思われます。そこは申し訳ありませんが大目に見て頂けましたら幸いです。もちろん、ひどい間違いは指摘くださいませ。

 

 

(以下ネタバレあり)

今回久しぶりに読み返し、やはりのめり込んで一気に読んでしまいました。なんなのこのスケールの大きさ!とにかく設定とストーリー展開が半端ないです。ベートーヴェンはそのまま人生をなぞってもじゅうぶん面白い物語になるのに、架空の人物である貴族・フランツを絡ませることで「楽聖と同時代を生きた人」の物語およびその時代背景まで同時に楽しめるというのがうれしい。もちろん、実在の人物と一緒に動くことにより、架空の人物のリアリティが増すのは確かだと思います。そして逆もまた然りで、名もなき人の存在が名を残した人をいきいきと際立たせてくれるんですよねきっと。「天才」だって人の子で、一般人と同じ空気を吸って生きているんだよという。「これは史実と違う」なんて、フィクションの世界ではそんな野暮なことは言いませんが、作り話の中にもリアリティは必要なのだと個人的には考えます。リアリティがないとお話に入り込むことはできませんから。

そして他の手塚作品と同様、本の小さな枠内に平面の絵が描かれているのに奥行きが感じられ、人物は動いて見える…ありきたりな言い方になりますが、まるで大画面の映画を見ているようです。加えてこの作品は「音楽を絵で表現」しているのがとにかくすごいです。例えば空中に流れるような五線譜が描かれその上で音符たちが踊り、音のイメージで川が勢いよく流れるといった表現。それだけでなく、即興演奏の変奏ではピアノの手元から出た音符たちがいつしか雲の上に踊り出したり、地味な小鳥がきらびやかな羽根を生やし美しく変化したりといった「目で変化を感じる」ことで音楽の変化を体感できます。そして極めつけバッハの「平均律クラヴィア曲集」の表現は圧巻です。これはもう実物を見てくださいとしか言えません。例えば小説だといくら言葉を尽くしても人によって思い描くものが変わってくるでしょうし、アニメや実写だと本当に音楽を流すでしょうから、耳から入る音楽の前では視覚情報の絵は霞んでしまうかもしれません。そう考えると「絵で音楽を感じる」というのは、マンガならではの楽しみ方だと思います。そしてそれを思いっきり描いてくださった手塚先生には感謝してもしきれません。

驚くのは、これを手塚先生は病院のベッドの上で描いていたこと。ただでさえ体調が思わしくなくて、手元で参照できる資料は限られているにもかかわらず、です。しかも遺作はこの『ルードウィヒ・B』だけじゃないようです。『ルードウィヒ・B』の終盤には「隠し撮りカメラの録画」として描かれた一連のシーンがあります。これはきっとあらゆる管がくっついていてがんじがらめになっていたときに、なんとか手が動く範囲で描いてくださったのだと思われます。結果として限られた視界の情報しか入ってこなくて、むしろ緊迫した状況が窺える絶妙な表現に。しかもそんな場面にもかかわらず「ピンボケ」や「召使いは金の袋ばかり映す」といった、クスッと笑える表現は細かく入ってきます。例えば壮大な『火の鳥』でもそうですが、ストーリーが動く重要なシーンであっても漫画的な笑いのネタは常に出てきて私たち読者を楽しませてくださるんですよね。手塚先生はマンガを描くことがとにかくお好きで、たとえ病院のベッドの上であっても描かずにはいられなかったのかも。決して義務感や功名心から描いていたのではないことは、作品を読めば誰でもわかります。

先に全体的なことを書きましたが、お話の内容についても書きたいと思います。まず、「ベートーヴェンが!モーツァルトが!動いている!」…言うまでもなく、知っている歴史上の人物が動いているのを見るのは楽しい。しかも知っている人同士ががっつり絡んでくれるなんて胸熱です。史実ではベートーヴェンモーツァルトは一度会ったきりと言われていて、一説ではそれすらあやしいみたいですが、この作品では短い期間でもベートーヴェンモーツァルトに弟子入りして様々なやりとりをしています。モーツァルトは「最初にひらめいたメロディが神の啓示」と言い、途中で発想が途切れた曲はボツにするスタイル。ベートーヴェンは反論できず心の中で(「先生とは意見が違います」)とつぶやくのが精一杯で、16歳のベートーヴェンはまだ何者にもなっていない様が窺えます。それでもモーツァルトが貴族に頭が上がらず、言われるがままに作曲するのに対しては大声で「ぼくは一生のうちにきっと、ぼくの音楽の前に貴族をひざまずかせてみせます!」と言っています。この台詞、宮仕えで疲弊した父親からの教えが効いているように感じました。この世界でのベートーヴェンの父親は、アル中で生活にだらしない面はあるものの、精神面では息子の支えになるキャラ設定になっていました。

ベートーヴェンが嫌いな「貴族」の中で、彼の親友となったのがワルトシュタイン伯爵です。もう家柄・知性・容姿・人間性どれをとっても申し分のないハイスペック男子で、勝手に脳内BGMはピアノソナタ第21番「ワルトシュタイン」。ちなみに「モーツァルトの精神をハイドンの手から受け取れ」という言葉で有名なワルトシュタイン伯は実在の人物であり、この趣旨と同じ台詞は作品中にも出てきます。話を戻すと、ワルトシュタイン伯はエレオノーレ(ベートーヴェンの初恋の人)と仲良しだったため、初めのうちはベートーヴェンは彼を敬遠。しかし彼はベートーヴェンが即興演奏した曲を手放しで褒め、ベートーヴェンの塩対応にもひるまず思ったことははっきりと言います。フランス革命を例に「貴族は前時代の遺物」とまで言い、その様にも余裕があって、何もかも持っている人というのは確かに存在するのだなという印象です。音楽家であるベートーヴェンを見下さないばかりか才能を賞賛し、先進的な考え方を物を知らない相手にも飾らず誠実に語り、ベートーヴェンに大学の聴講生になることを勧めてくれたワルトシュタイン伯。ベートーヴェンはすっかり彼を気に入って握手でお友達に。こんなところはベートーヴェンは素直でいいなと思います。

これは主観ですが、先祖代々良い家柄に生まれ何不自由なく育った人は、余程のことがない限りはこのワルトシュタイン伯みたいな好人物になる気がするんですよね。恨み僻み妬み嫉み憎しみといった持たざる者にありがちな醜い感情とは無縁でいられて、学ぶ気があれば環境は揃っているため知識や見識をどんどん広げることができ、人としての魅力が増せば周りに良い人が集まってきてさらに人間性に磨きがかかる好循環。ワルトシュタイン伯みたいな人こそ、ザ・貴族。そう私は思っていたので、この作品のもう一人の主人公フランツとそのエキセントリックな父親には、ちょっと違和感ありました。フランツがやたらと貴族の身分に固執して音楽家を見下すのだって余裕がなさすぎです。もしかするとフランツの父親は低い身分の出身で、婿入りして貴族になったのかも?と考えると少しは腑に落ちます。フランツを産んですぐ他界した母親からは教えは受けられず、狂気じみた父親の考え方がすり込まれたのなら、悲しいかなフランツのように色々とこじらせた貴族になるもかもしれません。これは完全に私の妄想ですのであしからず。

そしてそのフランツのこじらせこそが、この物語のカギなわけですが。フランツは貴族の家に生まれながら、出生時に訳があって「ルードウィヒ」という名を持つものを憎むように。幼いベートーヴェンが演奏会デビューした新聞記事を読んで「たった今おまえという人間はぼくの生涯の敵に決まったぞ」…もうむちゃくちゃです。不幸な生い立ちには同情するけれど、まったく関係ない赤の他人を自分の不幸の巻き添えにするのはやめてほしいです。しかしこれが物語のスタートラインなので、そこは飲み込んで先に進むことにします。まずは幼いルイ君をいきなり棒で殴りつけ、難聴の原因を作っています。ボンのブロイニング家で再会したときはとどめをさすつもりになっていたのに、ベートーヴェンが口ずさむ「歓喜の歌」を聴いて手が出せず。ウィーンでもベートーヴェンに執拗につきまとい、「平民の成り上がり者」とバカにしながらもベートーヴェンが作る曲を「息子のために」と言って欲しがります。しかしベートーヴェンはお金を積まれても(前述したカメラ映像のシーンです)、その場にあった鍋を叩いてフランス革命ラ・マルセイエーズを演奏し、貴族や宮廷では絶対に聴けなかった音を探し出して「新しい音楽を」作曲すると宣言。ベートーヴェンモーツァルトに誓った「ぼくの音楽の前に貴族をひざまずかせてみせます」は、この時点でかなりいいところまで来ています。ラ・マルセイエーズのシーンで、ベートーヴェンを目の敵にして執拗につきまとう「貴族」フランツがこの作品にいる理由が少しだけわかった気がしました。音楽を貴族のものから大衆のものにしたベートーヴェンですから、仲良し貴族(実際多くの貴族に好かれた人物です)ばかりではお話は盛り上がらなかったのかもしれませんね。

本の最後の最後、フランツが欲しがる曲はピアノソナタ第14番「月光」なんですよね。わかる。フランツという人物はよくわからないけど、「月光」は私だって欲しい。いい曲だもの。誰もが知る名曲はそのものが説得力を持っているので、こういった場面は無理なく成立するのでしょう。しかし物語はすごくいいところで終わっているのが惜しくて悔しくて。叶うことなら続きが読みたいです神様…。

手塚先生、絶対に続きを書く気マンマンでしたよね…。無理矢理まとめようとしていないのはもちろんのこと、今後の伏線になるであろう部分もしっかり描いており、ああこのまま終わってしまったのは実にもったいないと思わずにはいられません。例えば、フランツをベートーヴェンから離して戦地に赴かせたサブストーリー部分に大きな尺を使っています。フランツのせいで孤児となった農民の乳飲み子をフランツが養子にするのですが、つけた名前が「ユリシーズ」。私のような物を知らない人間でも、意味深な名前だというのはわかります。今後成長したらストーリーに大きく関わってくると容易に想像できるのに、物語が途切れた時点でユリシーズはまだ2歳。ユリシーズベートーヴェンの甥カールとほぼ同年代でもあり、もし物語が続いていたらカール自殺未遂との絡みもあったのでは?いやそんな誰もが思いつくようなレベルではない重要な役割を担うのでは?とあれこれ妄想してしまいます。考えても詮無きことですが。

考えても仕方がないとは思いつつも、もし『ルードウィヒ・B』が完結した作品になったのなら続きはどうなっていたのか?つい考えてしまいます。フランツは第九の初演をきっと聴いたに違いなくて、その音楽の前に「ひざまずく」のだろうとは思うのです。しかし、そこにどのようにたどり着くのか?まったく見当がつきません。そして第九のようなオーケストラの音楽を絵で表現したものをぜひ見てみたかったです。ピアノ曲とはまた違った迫力のある絵になったと思うのに、その絵だって私達の目の前には現れてきてくれないのです。そもそもこんな妄想ができるのだって、手塚先生が作品を世に送り出してくださったからこそなのに。その世界観にどっぷりハマって楽しんだだけでは飽き足らず、続きが読みたいなんて無理な願いをしてしまう…読者とはつくづく身勝手だなと自分を省みます。

「ぼくは耳がどうぜ、いつか聴こえなくなる。その前にこの音を、全部記憶しておかなくちゃならんのだ」…本の終わりに近いところに、こんなベートーヴェンの台詞があります。もちろん難聴に悩むベートーヴェンによる、字面通りの意味の台詞です。しかし一方で、手塚先生は病院のベッドの上でどんな気持ちでこの台詞を書き入れたのだろうと思うと、胸が締め付けられます。残された時間はもう長くはないことは、おそらくご自身がよくわかっておられたと思うのです。それでも天に召されるその直前まで描き続け、私達読者に物語を届けてくださったのですよね。本当に、本当にありがとうございます。読者はめいいっぱい楽しませて頂きました。

なお1巻の巻末には手塚治虫先生ご自身による「絵ッセイ ベートーベンの部屋」があり、こちらも楽しい読み物です。引越魔で有名なベートーヴェンが比較的長く住んだ部屋があり、手塚先生がそこを訪問したときのレポートおよび所感がイラストと写真、そして文章で綴られています。「ぼくは自分がベートーベンと性格が、ひどく似ているような気がします」とご本人談。ベートーヴェンが実際に暮らしていたときの想像図では、ベッドで寝ている楽聖は『ルードウィヒ・B』のルイ君よりずっと大人です。

 

 

手塚治虫マンガ音楽館 (ちくま文庫)
 

 

手塚治虫先生の音楽関係のマンガは他にもたくさんあって、私は『手塚治虫マンガ音楽館』も手元に持っています。短編とエッセイが盛りだくさんで読み応えあります。こちらもいずれはレビューを書くつもりです。

 

 

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おまけ。ベートーヴェン関連の本として、『ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく』の感想文へのリンクをはっておきます。活字の本ですが夢中になって読めますよ。こちらも超おすすめです。

 

最後までおつきあい頂きありがとうございました。


※この記事は「自由にしかし楽しく!クラシック音楽https://nyaon-c-faf.hatenadiary.com/)」のブロガー・にゃおん(nyaon_c)が書いたものです。他サイトに全部または一部を転載されているのを見つけたかたは、お手数ですがお知らせ下さいませ。ツイッターID:@nyaon_c