自由にしかし楽しく!クラシック音楽

クラシック音楽の演奏会や関連本などの感想を書くブログです。「アニメ『クラシカロイド』のことを書くブログ(http://nyaon-c.hatenablog.com/)」の姉妹ブログです。

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『ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく』かげはら史帆(著) 読みました

今回ご紹介するのは『ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく』かげはら史帆(著) です。

www.kashiwashobo.co.jp
柏書房ウェブサイトにある紹介ページに概要や目次が書かれてあります。プレイリストは本書を読みながら聴くとより楽しめるかも。

 

kage-mushi.hatenablog.com
また、著者のかげはら史帆さん(twitter ID: @kage_mishi )がご自身のブログにて本の参考資料となる記事をいくつか書かれています。ぜひお読みください。どの記事も楽しいのですが、特にプレイリストの各曲の一言コメントは秀逸です! ※上のリンクは一連の記事の一番目です。

ontomo-mag.com

そして、同じくかげはら史帆さん執筆のコラム『ベートーヴェンの葬儀に参列した「2万人」とは誰だったのか? ――社会に浸透する音楽家』(Webマガジン「ONTOMO」)も、今回ご紹介する本の理解の手助けになると思います。タイトルにある「ベートーヴェンの葬儀に参列した人達」とはどんな人達なのか?の解説に加え、当時の人々の生き様が窺える会話帳とはどのようなものか?そして晩年のベートーヴェンに仕え葬儀を取り仕切ったアントン・フェリックス・シンドラーによる「会話帳改竄」とは?…いずれも実例をあげて説明くださっています。お堅いテーマとタイトルにもかかわらず、こちらもすっと読める文章です。上のリンクからどうぞ。


このような記事を書かれるかげはら史帆さんの著書ですから、面白いに決まってます!私は出版のお話しをうかがってすぐに予約。手元に届いたら早速読み始めました。まずは睡眠時間を天秤にかけながら3日ほど(※私の自由時間は家族が寝静まってからの数時間です)でほぼ一気に。次はメモを取りながらじっくり少しずつ。活字の本でこんなに夢中になれたのは久しぶりです。忘れた頃に読み返すとまた別の発見がありそうで、今後何度でも読み返したいと思っています。今回はたった2回通読しての感想になりますが、大掴みであっても良書に出会った新鮮な気持ちを書き残しておきたいと考え本記事を書くことにしました。

え?マンガならいいけど活字の本はちょっと…と思われたかたへ。安心して下さい。ベートーヴェンに少しでも興味があれば楽しく読めますよ!当時のドイツ愛国主義ウィーン会議といった時代背景をよく知らなくても、本文中に簡潔な説明が入ってくるので置いてけぼりにはなりません。なによりページをめくる手が止まらない!続きが気になる怒濤の展開に目が離せなくなり、気付いたらのめり込んでいます。それから本文中に「やりがい搾取」とか「あのコのLINEゲットした?」といった、最近の流行やクスッと笑える小ネタをさりげなく仕込んであるので油断できません(笑)。もちろんテーマそのものは硬派ですし、小さな活字が詰まったボリュームある本ではあります。太字のキャッチコピーが並ぶ余白だらけのジャンクフードのようなものとは一線を画すものです。かといって、薬だと思って我慢して摂取する類いのものではなく、例えるなら遊び心があるコース料理を楽しく頂いているかのような本です。素材は一筋縄ではいかないグリル厄介ですから、調理にはさぞかしご苦労があったことと拝察します。活字離れが言われて久しい昨今ですが、こんな本が新刊として登場したのがうれしいです。活字の本の未来はきっと明るいと希望が抱けます。

以下に本の感想および個人的な考えを書いています。過剰なネタバレは避けたつもりですが、本の内容の一部がわかる記述が含まれます。既にお読みになったかたおよびこれから読む予定で多少のネタバレは気にならないかたのみ、「続きを読む」からお進みください。

 

 

(以下ネタバレあり)

突然ですが、私の初恋の人はベートーヴェンです(※誰も聞いてない)。父がレコードで聴いていた「月光」をいいなと思ったのがすべての始まり。10歳当時の私は楽聖に興味を持ち、学校の図書室でキリストや織田信長などが並ぶ伝記の中から「ベートーベン」を手に取りました。「運命はこのように扉を叩く」「(病床でシューベルトに)神の火花が散っている!」「諸君喝采を、喜劇は終わった」…もうめちゃくちゃカッコ良くて。ああこんな素敵な人が恋人のために書いた美しい曲が「月光」なんだと、子供向け伝記は少女に夢を見せてくれました。そして時は流れ二児の母となった私は、出版年が新しい伝記を子供と一緒に読むことに。ブランクは約30年。最近の伝記によると、「月光」のジュリエッタ以外にも女性は大勢いるし、放蕩息子で手を焼いたはずの甥っ子はごく普通の青年でありベートーヴェンが過干渉で潰したことになっているし、見舞いに来たシューベルトとは言葉を交わしていない…おや?と思いました。研究が進んで通説が覆るのは分かるのですが、それにしても変わりすぎでは?と。程なく、昔の伝記のベートーヴェン像には「シンドラー」という人物が絡んでいると知ります。こらシンドラー!私のベートーヴェンに勝手に何してくれるの!と初めは思いました。ただ、冷静に考えると「私のベートーヴェン」とはすなわちシンドラーが作り上げた嘘の産物であるという。何たる皮肉。ぐぬぬ

アントン・フェリックス・シンドラー。自称ベートーヴェンの無給の秘書で、ベートーヴェンの伝記(全部で3バージョンあるそう)を書いた人物。ただその記述は作り話が多く、「史実」と信じて良い部分は少ないこと。そして証拠を捏造するために、第一次資料として大事な会話帳の大半を処分し残ったものには大幅に手を加えていること。この事実だけで「なんだこいつ」ってなりますよね。私、シンドラーは生理的にムリ…。つい最近まで私はここで止まっていました。さらには、シンドラーをよく知らないのに不都合なことは全部シンドラーのせいにしてしまう勢いにすらなっていました。でもこれって、著者も指摘するように思考停止に他ならないんですよね。本当のベートーヴェンの姿を知りたければ、シンドラーが具体的にどのように考え行動したのかを把握しないことには先には進めないわけです。

ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく』は、誰も見向きもしなかったシンドラーに向き合った点でまず画期的です。読み始める前は、内容に興味はあってもシンドラーに良いイメージはない私が読み通せるかな?と少しだけ不安でした。しかし読み始めるとそんな心配は杞憂だったとすぐにわかりました。登場人物の心理描写が実にリアルで、いつの間にか読者が当事者になる「魔法」にかかっていたのです。もちろん、彼が実際に行った会話帳の改竄や破棄、敵とみなした人々に対してのネガティブキャンペーンはNGです。それでも本文を読み進めていくと、「もし私がシンドラーと同じ立場だったとしたら、同じ事をしたかもしれない」とも思えてくるのです。念のためお断りしておきますと、著者はシンドラーを擁護してはいませんし、逆に糾弾してもいません。あくまでフラットに書いています。加えて、著者の持論を述べる際は別の可能性を併記しており、特定の考え方に誘導しようともしていません。なので私のようにシンドラーとシンクロする読者もいれば、ビタイチ共感できない読者もいて然るべきです。ただ、共感する・しないは別として、シンドラーがなぜそうしたのかは理解できる書き方になっていると思います。

そして小説仕立てにはなっていますが、単なる思いつきを書き連ねたものではありません。著者は根拠となる資料に徹底的にあたっています。詳しくは本書の「バックステージⅡ メイキング・オブ・『ベートーヴェン捏造』」を参照ください。当時の手紙や新聞記事といった一時資料や研究論文等の二次資料はすべてドイツ語ですし、最も頼りになる「会話帳」だってオリジナル書き込みと捏造書き込みが混在しておりしかもまだ全容は解明されていない状態です。著者がオセロゲームに例えていましたが、黒(シンドラーの嘘)が多い会話帳に、別の資料にあたって突き止めた白(史実)を打ってひっくり返していく作業はとんでもなく根気が要ると拝察します。しかも多くの書き込みは後から読むことを想定していないなぐり書き(※このあたりは冒頭でリンクを貼ったかげはらさんのブログ記事を参照願います)であり、「ドイツ語はわかっても読めない」部分も多いのでは?著者の尽力のおかげで、私達読者はまるでタイムマシンでその当時に行ったかのようなリアルなドラマを目の当たりにできるのです。大変感謝しています。

そもそも「会話帳」とは?詳しくは本書を参照願いたいのですが、耳が不自由なベートーヴェンが筆談するために使ったメモ帳のことです。話し相手は書き込みますが、ベートーヴェンはしゃべるため、ベートーヴェンの発言は一部の例外を除いて残っていないのがミソのようです。シンドラーは過去の会話帳の余白部分に、主に自分の捏造発言を書き加えることによって自分が理想とするベートーヴェンと会話します。むしろベートーヴェンのリアル発言が残っていないからこそ、妄想炸裂できた側面もありそうです。

んー、捏造だの改竄だのがついてまわると、なんだか「会話帳」ってものすごく後ろ暗い。そう思ったご同胞に耳よりなお話です。なんと「会話帳は200年前のSNS」だそうですよ。こちら本書の「バックステージⅠ 二百年前のSNS―会話帳から見える日常生活―」に詳しく書かれています。例えば食事のメニューのような日常生活の他愛もないことや有名な「コーヒー豆は60粒」、ベートーヴェン(計算が苦手)が書き込んだお金の計算に別の人が正解を書いてあげていること等、めちゃくちゃ楽しいです。こんな会話帳の日常ネタを集めた本があればぜひ読みたいです!と希望は言ってみます。

先にコラムに触れましたが、本題のシンドラーその人についても私の所感を書きます。便宜上、本文内容のダイジェストを入れますが、そちらはできれば著書そのものをお読みください。また私の見方はあくまで個人的な主観によるものですので参考程度にとどめ、ご自身の見方は必ず著書をお読みになってご自身でお考えください。

機能不全とまではいえない普通の家庭に育った田舎の秀才が、ウィーンという都会に出て時代背景もあり学生運動にのめり込む。まあ「あるある」ですよね。やがて少年時代からその音楽を聴きあこがれていたベートーヴェンと出会い、「魔法にかかったかのように」楽聖のとりこに。秘書となりベートーヴェンに尽くすことがシンドラーの新たな生き甲斐になります。シンドラーベートーヴェンのビジネスも普段の生活の雑務も手を尽くしすぎるくらいに頑張るも、性格に難ありで次第に疎まれるように。その「難」とは、軽い会話を楽しみたいときもリアクションが的外れか極端。皮肉や遠回しな拒絶だって察することができず勝手に良い方に解釈する。あーこんな人はいますね…。シンドラーは第九の初演を取り仕切って成功させる等、プロデューサーとしては有能だったようですが、日常生活でずっと一緒だと気が滅入るかもしれません。でも、ベートーヴェンもひどいです。いくら嫌いな人を追い出したいからといって、それは人としてどうよ?ということをやってます。結果的にシンドラーはいったんはベートーヴェンから離れます。数年後戻ってきたとき、自分がいなかった時期の会話帳でその間の出来事を知ることに。古新聞のように積まれた会話帳の重要性をここで悟ったようです。何たる運命!シンドラーは会話帳を捨てたり改竄したりというとんでもないことをしでかした一方で、誰も見向きもしなかった会話帳の重要性を見抜いたからこそ保管したわけですよね。もしシンドラーがいなければ会話帳はいま一冊も残っていなかったのかもしれない…そう考えると、「罪」ばかりが問われるシンドラーにも「功」はあるのでは?と個人的に感じました。

シンドラーは最晩年のベートーヴェンを看病し、亡くなってからは葬儀の準備。そして2万人が参列した「もはや葬儀ではない」光景を目の当たりにします。ここまでが「現実」。その後の長い人生は「嘘」の連続に。間の「間奏曲」と称した部分(紙の色がグレーになっています)は、ベートーヴェンの葬儀からシンドラーが会話帳を持ち出しウィーンを去るところまで。晩年のベートーヴェンのお世話係だったコミュ強リア充のホルツを中心に伝記プロジェクトが立ち上がろうとしているときに、皆が存在を忘れている会話帳を密かに持ち出して高飛び。もしかするとそんな大袈裟なことではなかったのかもしれませんが、この一連の流れはとてもドラマチックでドキドキしました。

さて、ここからが本番。シンドラーは自分がベートーヴェンの伝記を書こうと動きだします。そして自分が理想とするベートーヴェン像を邪魔する人達に対して新聞記事で反論したり伝記の中でこき下ろしたりそのために会話帳を改竄したり。こうまとめて書いちゃうとすごくもったいない…一つ一つの出来事がまさに「事実は小説よりも奇なり」で、またそれらに対するシンドラーの心理描写も秀逸なのでぜひ本書をお読みください。最初のうちは「嘘も方便」あるいは「話を盛る」。しかしヴェーゲラーとリースの共著で「しゃべりすぎな」ベートーヴェンの伝記が出てからはさらに踏み込んで、ついに会話帳に手をつけることに。「ニセの美しい思い出を創造する」「現実などいらぬ。理想こそが真実だ」…友人も味方も家族さえもいないシンドラーはたった一人で戦いを続けていて、それこそ話し相手は自分が作り上げた理想のベートーヴェンだけ。次第に自分が肥大化させた理想のベートーヴェン像に自分ががんじがらめになってしまって、なんだか気の毒にすらなってきます。ホルツのえぐいシンドラーネガキャンでは消耗し、ベートーヴェンの後継者気取りで自分とそっくりな手法にて話を盛るリストを許せない。リストの刺客にしようと育てた弟子にも逃げられる。名キャッチコピーを書きブランディング戦略を推し進める有能なプロデューサーなのに、裏ではせこせこちまちま工作。こんなんで人生が終わるなんてあんまりだわ…と私が勝手に思っていたところ、最後の敵である伝記作家セイヤー登場。そのセイヤーとの対峙は息を呑みました。ここでわかったふりはしたくないのですが、「シンドラーという人は『ちっちゃな了見でビクビク生きてきたせこい男』だと思ったら大間違い」なんだろうなと感じたことだけ、今は記します。

そしてシンドラーの死後、残された遺品。筆者が述べた「シンドラーが人生をかけて改竄したかったもの」とは?私はここで涙が出ました。シンドラー、あなたって人は!具体的にどんな内容なのかは本書を読んでからのお楽しみに。

みんな大好きベートーヴェン!私も好き!でもみんなシンドラーは嫌い。私も…やっぱり嫌い。本書を読むことで、私は読む前よりシンドラーに近づけたことは間違いありません。史実重視の考え方は私が現代人だからなのかもしれず、シンドラーは彼自身が思う「真実」を生涯かけて追求したのだろうと頭ではわかります。またシンドラーベートーヴェン伝が世に出たのは、それこそリストを中心とする標題音楽がもてはやされた頃であり、音楽に物語が求められた時代。そんなときにシンドラーベートーヴェンをプロデュースして人々に「物語」を提供したのは「事実」。なので「功罪」の「功」は確かにあると今はそう思えます。「罪」が重いがゆえに人格否定までされてしまう現状は気の毒とも。でも好き嫌いはまた別の話です。理由はあれこれ浮かびますが、私の場合は詰まるところ「私のベートーヴェンに勝手に何してくれるの!」と最初の感情に戻る気がします。人間性は脇に置いても音楽を聴く限りベートヴェンは唯一無二の天才。我々凡人が太刀打ちできる相手ではなく、嫉妬や憎悪の対象にはなりえません。かたやシンドラーはどこにでもいそうな田舎の秀才で、おそらく私とあまり変わらない人種のような気がするのです。そんな人が生身のベートーヴェンの側にいたという特別な立場で、事実を知っているのにそれらを隠し自分が作り上げた理想のベートーヴェン像を押しつけてくるのが、まあ腹立つんだろうなと。シンドラー、あなたのバイアスはいらないから事実だけ淡々と記録してくれたらよかったのに。そしたら私が自分だけのベートーヴェン像を作れたのに。シンドラーのような文才やプロデュース能力はないのは棚に上げて、こんな感情的な話になってしまいます。結局は自分の理想のベートーヴェン像を作りたいという点で私はシンドラーと同じです。なので私のシンドラーに対する想いは、やっかみも混ざった同族嫌悪なのかもしれません。

色々と言いたいことが出てきて思わず長くなってしまいました。最初から最後まで思いっきり楽しめた本でした。かげはら史帆さん、良書を本当にありがとうございます。そしていつか次回作の発表があるのを楽しみにしています!

 

www.naxos.co.jp

フェルディナント・リースが活躍する『運命と呼ばないで ベートーヴェン4コマ劇場』をあわせて紹介します。シンドラーは本編には登場しませんが、意外なところにひょっこり出ています。私、初見のときは気付きませんでした…。ちなみに「運よば」の原案となったのは、リースとヴェーゲラーの共著「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンに関する覚書」。シンドラーはその内容に怒ったそうなので、シンドラーの息がかかっていない伝記として貴重と思われます。日本語訳の出版が待たれます。

 

以下、過去に書いた「運よば」の感想文へのリンクをはっておきます。姉妹ブログ「アニメ『クラシカロイド』のことを書くブログ」の記事になります。

nyaon-c.hatenablog.com


最後までおつきあい頂きありがとうございました。


※この記事は「自由にしかし楽しく!クラシック音楽https://nyaon-c-faf.hatenadiary.com/)」のブロガー・にゃおん(nyaon_c)が書いたものです。他サイトに全部または一部を転載されているのを見つけたかたは、お手数ですがお知らせ下さいませ。ツイッターID:@nyaon_c