自由にしかし楽しく!クラシック音楽

クラシック音楽の演奏会や関連本などの感想を書くブログです。「アニメ『クラシカロイド』のことを書くブログ(http://nyaon-c.hatenablog.com/)」の姉妹ブログです。

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『ところで、きょう指揮したのは? 秋山和慶回想録』 秋山和慶(著) 冨沢佐一 (著) 読みました

 

今回ご紹介するのは『ところで、きょう指揮したのは? 秋山和慶回想録』 秋山和慶(著) 冨沢佐一 (著) です。2015年2月 アルテスパブリッシング。文化功労者顕彰&指揮者生活50年記念出版。2014年に中国新聞文化面で連載された聞き書き「生きて」をもとに、大幅な加筆をして再構成されたものとのこと。巻末には索引と年表、CD・DVD一覧も掲載されています。

読みやすい構成と充実した内容で一気に読める、超おすすめの本です!弊ブログをお読みくださる皆様は、私のレビューはあくまで参考程度にとどめ、どうか本そのものを手に取りご一読くださいませ。では感想に入ります。以下、ネタバレが含まれます。ご了承頂けるかたのみ「続きを読む」からお進みください。

(以下ネタバレあり)

秋山和慶さん、やっぱりすごいおかたです!ファンのひいき目を大幅に差し引いても、次から次へとさらっと語られる偉業(と言っていいと思います)の数々に驚かされ、事態が好転していく流れはとても清々しく、最後まで夢中になって読みました。秋山さんは間違いなく戦後のクラシック音楽界をもり立ててきた立役者のお一人でいらっしゃいます。にもかかわらず、語り口は柔らかく、どこまでも謙虚。秋山さんは指揮者としての実力はもとより、このお人柄の良さがあるからこそ国内外の数多のオケで頼りにされ名だたる巨匠たちに信頼されてきたのだと実感しました。本のタイトルの「ところで、きょう指揮したのは?」というのも、「指揮者はめだたず、ひたすらよい音楽を求めるべき」というポリシーから来ていて、これは師の斎藤秀雄さんの教えでもあるそうです。

文章は基本的に時系列で、秋山さんによる語りと、記者の冨沢さんによる補足記事が交互に出てくるスタイルでした。秋山さんの幼少期は戦時中。しかしその頃にも親御さんに連れられてオーケストラのコンサートを聴きに行っていたそうです。またお母さんがピアノの先生で、ずっとピアノに親しんできたとのこと。子供の頃は指揮者になるつもりはなかったそうですが、中3の時に聴いた桐朋学園の演奏会が「運命の出会い」。斎藤秀雄さんと当時まだ学生だった小澤征爾さんが指揮したその演奏に強く感銘を受けて、桐朋学園へ進学することに。「斎藤メソッド」を考案した師の斎藤秀雄さんからは、技術面のみならず音楽への姿勢を学んだとのことで、秋山さんは師を大変尊敬されていらっしゃるようです。ただ私の率直な印象として、斎藤さんの教え方は乱暴(今ならパワハラ案件?)な感じもしました……まあ昔の指導者なら当たり前だったのかも。ちなみに秋山さんが「双子にように一緒だった」という指揮者・飯守泰次郎さんの回想によると、2人で遅刻して飯守さんが斎藤先生に怒られている時に、秋山さんはスッといなくなったりしたそう。秋山さんは案外うまくかわしていたのかも(笑)。しかし、1974年に師の斎藤さんが亡くなる前日、病床に駆けつけた秋山さんや飯守さん達の手を握って、斎藤さんは「おまえたちは絶対に怒ってはだめだ。わかるように教えろ」と仰っています。斎藤さんの先駆者としての気苦労は計り知れませんし、その教えは尊いからこそ皆がついていったのでしょう。そして、秋山さんは師の最期の言葉を守り、怒らない指導を心がけてこられたそうです。なお秋山さんは自身で師の教えを守りつつ、後進へ伝えていくことにも力を入れています。超多忙な中で、6~7人の仲間と一緒に師が残した教則本の改訂をしたり(仲間内で「先生に化けて出られたりしたら怖いし」なんて言いながら・笑)、小澤征爾さんと一緒に弟子仲間へ呼びかけて「斎藤秀雄メモリアルコンサート」を開催したり。このメモリアルコンサートがきっかけであの「サイトウ・キネン・オーケストラ」が生まれているわけで、斎藤秀雄さんの教えは弟子や孫弟子たちに連綿と受け継がれているんですよね。もちろん斎藤秀雄さんが偉大だったからこそではありますが、その教えや理念を引き継いだ秋山さんをはじめとしたお弟子さん達もまた偉大だと思います。

国内外の様々なオケとの仕事についてのお話は多岐にわたり、いずれも大変興味深いものでした。ちなみに札響(秋山さんは1988年から1998年まで首席指揮者でした)についての言及はナシ。ちょっとサビシイ(苦笑)。特に詳しく取り上げられていたのは「東京交響楽団」「ヴァンクーヴァー交響楽団」「広島交響楽団」の3つでした。「東京交響楽団」については、秋山さんは大学卒業した年(1963年)の9月に専属指揮者に就任。引き続き大学で斎藤秀雄さんの助手を務めながらの入団だったそうです。ところが翌1964年に経営破綻し、自殺者(!)まで出る事態に。自主運営していくことになり、最初の数年はほぼ無給でがむしゃらに演奏会を次々とこなす日々が続いたとのこと。ひと月に30回(!)も練習と本番に明け暮れ、結婚したにもかかわらず新婚旅行には行けず(いまだに奥様に恨まれているとか・笑)、生活の糧は奥様のピアノ教室が頼りで、この頃から白髪も出始めたそう。旧海軍の猛者が大勢いた楽団だったそうですが、一緒に頑張ることで指揮者と楽団員との結びつきが強くなったとのことです。この頃を「楽しかった」と秋山さんは述懐しておられます。力を付けてきた東響は1976年に初の海外公演にも行き、経営面では良き支援者も現れて1980年に財団法人に再認可。「あっという間」と秋山さんは仰いますが、ここに至るまでは一言では言い表せない程の様々な積み重ねがあったことと存じます。その東響の海外公演のきっかけを作ったのは「ヴァンクーヴァー交響楽団」との交流で、秋山さんは1972年にヴァンクーヴァー響へ音楽監督として就任。当時は桐朋学園大学助教授と東京交響楽団音楽監督、大坂フィルハーモニー交響楽団の指揮者も務めていて、はじめは断ったそうですが「三顧の礼」で迎えられたとか。ヴァンクーヴァー響では様々な挑戦ができたようで、公演の度に会員数が増え、多くの巨匠たちとの共演ができるようになったそう。なによりパーティー文化が育っているヴァンクーヴァーを秋山さんはすっかり気に入って、この地に本邸を構えます。まだまだ有色人種への差別が強い時代(高級住宅地に住むのも「名誉白人」という位置づけ)に、実力で街に受け入れられたのは並大抵のことではないはず。なおヴァンクーヴァーの秋山邸は世界の名だたる巨匠たちや楽団員が集うサロンとなっていて、名前だけでも私ならおそれいるような面々についてさらっと語る秋山さんが眩しいです。そして「広島交響楽団」には、1998年に首席指揮者・ミュージックアドバイザーに就任。誰か適任者を紹介してほしいとの相談に、自ら手を挙げられたそうです。広響に関する記述は大変詳しく、関係者の証言も多く掲載されていて読み応えがありました。「広島をヴァンクーヴァーのような街にしたい」のが秋山さんの夢とのこと。ちなみに今となっては懐かしい名前ですが、ちょうど取材当時(2014年)にニュースとなった佐村河内守氏の話題もありました。事件が明るみに出る前に、氏の交響曲第1番≪HIROSHIMA≫の初演を手がけたのが秋山さんで、楽譜は使い物にならず徹夜で直して演奏したというエピソードも。このように国内外の様々なオケを良い方向に導いてこられた秋山さんですが、中には一筋縄ではいかないところもあったようです。例えば仲良しクラブ的なオケを立て直すため団員達を再オーディションでふるいにかけようとして揉めたり、楽団を育てた往年の名指揮者の色が濃いオケに「新しい風を吹き込んでほしい」と要請されて指揮者に就任するも、一部の楽団員の反発があってうまくいかなかったり。このあたりを掘り下げればいくらでもドロドロした話は出てくるのかもしれませんが、秋山さんの語りはあくまでさらっとで、ネガティブな感じはありませんでした。

国内外を飛び回り超多忙な秋山さんですが、後進の指導にも熱心なのがとても印象的でした。現場や大学などで若い指揮者や演奏家を育てるのみならず、アマチュアやジュニアオケにも積極的に関わっておられます。「音楽の種をまいてきたことは生涯の誇り」とのこと。頭が下がります。なお秋山さんは名声には興味が無いようで、何度かあったベルリンフィルからの出演依頼は、いずれも先に決まっていた国内オケの予定があったために断ったそう。そんなこともドヤ顔して語るのではなく、至極当たり前な感じなのが秋山さんの良いところだと私は思います。レパートリーは800曲以上で、ほとんどを暗譜しているにもかかわらず、楽譜は丹念に見直すことにしているそうです。演奏に完成はなく「つねに新たな地平線が見えてくる」のだとか。大変な実績がありキャリアも長い秋山さんほどのおかたが、今でも学び続ける姿勢でいらっしゃるのです!400回以上(当時)演奏してきた第九は、「人類にとってもっとも大切な愛や平和、連帯を歌い上げた偉大な曲」。また、東響やヴァンクーヴァー響はじめ、様々なオケでのデビューにて演奏してきた特別な曲が「ブラームス交響曲第2番」だそう。これは個人的にとてもうれしかったです。私は今のパンデミックが去った暁にはブラ2を聴きたいと勝手に願っていますが、それが秋山さんが指揮するブラ2なら最高です!きっと聴かせてください!

忘れてはいけない、秋山さんといえば「鉄道」。鉄道愛についても1章まるまる使って語られていました。ちなみにヴァンクーヴァーの本邸には模型を走らせる専用の部屋があるそうです。札響でも鉄道をテーマにした演奏会の指揮をした秋山さん。鉄道を語らせたらおそらく止まらない(笑)。しかしここ数年はコロナ禍による指揮者代役のためあちこちの国内オケに引っ張りだこでしたから、本邸に帰る暇はなかったのでは?コロナ禍での様々な縛りが緩和されつつある今、秋山さんが束の間でも休暇を取れて、自宅にてくつろいで鉄道模型に夢中になれる時間があってほしいと願っています。

本書を最後まで読み、私はますます秋山和慶さんを好きになりました。同じ時代に生きてその演奏が聴ける私達は幸せです。秋山和慶さんとの出会いに改めて感謝!秋山さん、どうかいつまでもお元気で、これからも私達に素晴らしい演奏を聴かせてくださいませ。そして、ご自分のことをペラペラ話すタイプとは思えない秋山さんから様々なお話を引き出し、周辺情報を丁寧に取材して裏付けを取り文章にまとめた冨沢佐一氏に敬意を表します。良いものを読ませて頂きました。ありがとうございます。


最後までおつきあい頂きありがとうございました。