今回のウィステリアホール プレミアムクラシックはソプラノ&ピアノ。昨年の「ソプラノ・クラリネット・ピアノ」(2021/11/07)で中江さんの大ファンになった私は、別会場のブラ2を含む公演を見送り、迷わずこちらの公演へ足を運びました。演奏会当日、ほぼすべての座席を使用した会場は、他の大規模な公演と被ったにもかかわらず9割ほどの席が埋まっていました。
ウィステリアホール プレミアムクラシック 17th ソプラノ&ピアノ
2022年07月31日(日)14:00~ ウィステリアホール
【演奏】
中江早希(ソプラノ)
新堀聡子(ピアノ)
【曲目】
中田喜直:魚とオレンジ/阪田寛夫 (作詩)
1. はなやぐ朝 / 2. 顔 / 3. あいつ / 4. 魔法のりんご 5. 艶やかなる歌 / 6. ケッコン / 7. 祝辞 / 8. らくだの耳から(魚とオレンジ)
山田耕筰:風に寄せてうたへる春のうた/三木露風(作詩)
1. 青き臥床をわれ飾る / 2. 君がため織る綾錦 / 3. 光に顫ひ日に舞へる / 4. たゝへよ、しらべよ、歌ひつれよ
直江香世子:金子みすゞの詩による三つの小品/金子みすゞ(作詩)
1. つゆ / 2. 花屋の爺さん / 3. 雪
クララ・シューマン:
ワルツ/リザー(作詩)
我が星/ゼレ(作詩)
ロベルト・シューマン:女の愛と生涯 作品42/シャミッソー(作詩)
1. 彼に会ってから / 2. 彼は誰よりも素晴らしい人 / 3. わからない、信じられない / 4. わたしの指の指輪よ / 5. 手伝って、妹たち / 6. 愛しい人、あなたは見つめる / 7. わたしの心に、わたしの胸に / 8. 今あなたは初めてわたしを悲しませる
アルノルト・シェーンベルク:4つの歌曲 作品2/Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ :デーメル、 Ⅳ:シュラーフ(作詩)
1. 期待 / 2. ぼくにあなたの金色の櫛をください / 3. 高揚 / 4. 森の日差し
(アンコール)越谷達之助:初恋/石川啄木(作詩)
ピアノはベーゼンドルファーでした。
中身の濃い「濃厚なプログラム」の演奏を通じて、2時間たっぷり様々な人生を生ききった演奏会でした!今回、私はすべての演目が初聴き(まっさらな気持ちで聴きたくてあえて予習ナシで臨みました)で、開演前は中江さんの美声を味わいたい♪と、のんびり構えていたのです。しかし演奏が始まると、時にどす黒い感情をも全力で表現する演奏に圧倒され、私は良い意味で中江さんへの見方が変わりました。一切の手加減なしでごまかしのない演奏は、表現者としての矜持であり、同時に私達聴き手を信頼してくださっている証。私はますます中江さんのファンになりました。こんなに素晴らしい演奏家が、地方都市である札幌の小さな会場で、ここだけのプログラムを上演してくださるなんて!その会場に私もいられたなんて、感激です!ありがとうございます!いうまでもなく、中江さんとご一緒にプログラムから当日の演奏まで作り上げた新堀さんにも大感謝です。そして企画立案から開催まで取り仕切ってくださったウィステリアホールさんにお礼申し上げます。
演奏は最初から最後まで素晴らしいものでしたが、今回私が最も感銘を受けたのは、最初の中田喜直「魚とオレンジ」です。ものを言うことが許されなかった時代の女性の感情を、ここまで赤裸々に描いた作品があったとは!ヒロインは、醜い感情を持ち自分の運命を嘆く、有り体に言えば「かわいげがない」女性。しかし男性である詩人も作曲家も、この女性への眼差しが優しいと私は思いました。感情をありのままに吐露させ(それすら女性には許されなかった時代)、最後には救いがある物語。作品を生み出した詩人と作曲家、そして魂の込められた演奏のおかげで、私は凄みに圧倒されながらも、作品中で「愛がない」と絶望していたこのヒロインをたまらなく愛しく思いました。この出会いに感謝!もちろんそう思えたのは、何より演奏が素晴らしかったからです。「かわいげがある」女性を演じるより遙かに難しいはずの、「魚とオレンジ」のヒロインに命を吹き込んだ演奏は、見事としか言いようがありません。もちろん他の作品も、懸命に生きる人が目の前にいると感じられる素晴らしい演奏で聴かせてくださいました。時代が今とは違うから、あるいは詩人や作曲家が男だから女だから、そんなことは大した問題ではありません。どんな時代でも置かれた場所で懸命に生きる人は尊い存在であり、また他者を想像して描いている以上、どんな作品も多かれ少なかれファンタジーだと私は思っています。そんな作品の中にいる人達を、リアリティのある生きた存在として私達の目の前に出現させてくださった、中江さんと新堀さんを心よりリスペクトします。本当にありがとうございます。
開演前のプレトークは中江さんと新堀さんのお二人で。今回のテーマは「作品から見る女の愛と生涯」。シューマンの作品を取り上げることが真っ先に決まったそうです。女声だと音程低めのメゾソプラノやアルトのかたがよく演奏する演目を、ソプラノの中江さんは勉強したいと以前から考えていらして、新堀さんにお話したとのこと。今回取り上げる直江さんの作品は、直江さんが大学の試験で作曲されたもので、大学の同級生である中江さんが初演。「3曲で一つの物語になるように作曲した」ものだそうです。また他の演目についても簡単な解説がありました。
前半は日本語の歌です。最初の演目は中田喜直「魚とオレンジ」。1曲目の「はなやぐ朝」は、和風で華やかなピアノ前奏から入り、ソプラノの高く美しいお声に初めから気分があがりました。さらにもう一段高い声で玉を転がすように歌ったところが素晴らしい!中江さんの十八番の「夜の女王のアリア」を思わせる貫禄でした。天真爛漫な少女がそこにいるようで、聴いている私達も爽快な気分に。また育った家の庭の描写(?)で「魚の目玉」や「みかん」という台詞が出てきたので、私の中で意味は繋がらなかったのですが、これがタイトルの元になった?とは思いました。ただ驚いたのは2曲目以降。1曲目の明るさは何だったの……と戸惑うほどの変化。しかし魂の込められた演奏は、まるで舞台演劇のようで、聴いている私達もその世界観に引き込まれました。2曲目「顔」は、不穏なピアノ伴奏に合わせて澄んだソプラノが思春期にありがちな容姿コンプレックスを歌っている、とゆったり構えていたら、「そんな目で見ないでください」とピシャッと厳しく言い放たれ、会場の空気が一変。3曲目「あいつ」は、自分を挑発したあいつに恨みを募らせ、ころす!と強く言い放ち、しかもそれは結婚した後にって……。続く、白雪姫の毒リンゴを欲しがる4曲目「魔法のりんご」も、おどろおどろしいピアノの響きに、高く澄んだソプラノが発する怖い台詞が、ぞっとする恐ろしさでした。少し華やかになった5曲目「艶やかなる歌」では、聴いて頂戴、と世の中の人達に自分がプロポーズされたのを自慢するも、「なんていうのかな、嫌いじゃ無かったのよ」と普通のおしゃべりのように言ったのと、ラストの「私をみーてー!」がとても印象に残っています。6曲目「ケッコン」は、おめでたいはずなのに、けだるく「金襴緞子」「花嫁ざんす」と最後の「す」に韻を踏みながら言い捨てるように言葉を発し、「ゴケッコンでーす」と機械的に言ったのに胸が締め付られました。人生すごろくを進めてはいても、結婚に対して希望などない、そんな心情が痛いほど伝わってくる演奏。7曲目「祝辞」では、結婚式の最中に目で会話した母親に、二十数年後の自分の姿を見るというもので、夫に子供2人にイヌがいて、でも愛がない……聴いていてとてもつらくなってしまいました。日本の女の人生は何と窮屈なことか。先は全部見えているのに「(それでもこの人に)ついて行くの」との悲痛な叫びが忘れられません。そして終曲は、最初のほうはうまく聞き取れなかったのですが、地球を離れた私を「みてみてみてみて」(ものすごい気迫が感じられました)と、何にだってなれる「私は魚、私はオレンジ」。どんな形かはわからないけれど、この女性の魂が解放されたように感じられました。よかった……と言っていいかはわかりません。しかし、音楽に1曲目の明るさが戻って来たのを聴き、もし彼女が天真爛漫だった少女の気持ちに戻れたのだったら、救いなのかなと。美声だけじゃない中江さんの愛(ある意味型破りなこの作品の女性に命を吹き込んだ演奏、これこそ愛だと私は思います)と表現力に、ただただ打ちのめされました。隠れた名曲を、希代の名演奏で聴かせてくださりありがとうございます!
続いて山田耕筰「風に寄せてうたへる春のうた」。壮大なピアノとのびやかに歌うソプラノ、あふれる生命力!3曲目に少し心の揺らぎが垣間見られたのが印象的で、ラストの4曲目のきらびやかで幸福に満ちあふれた感じがインパクト大!古風な歌詞で正確な意味を把握できなかったのですが、字面通りの春を讃える歌というよりは、恋の始まりの喜びを表現しているように個人的には感じました。そして、もしもこの作品を単体で聴いたなら、清々しくて素敵!と、私は素直に楽しめたかもしれません。しかし、「魚とオレンジ」を聴いた直後だったためか、純粋無垢な恋にどこか哀しみを感じました。この先、窮屈な人生が待っていることにまだ気付いていないのか、あるいは気付かないふりをしてほんの短い春を必死で謳歌しているのか。いずれにしても居たたまれないなと。あくまで個人の感想です。
直江香世子「金子みすゞの詩による三つの小品」。「誰にも言わずにおきましょう」と、ささやくように始まった「つゆ」は、ピュアな少女が思い浮かびました。ピアノの響きがはじめスキップするようだったのが次第に夕暮れの寂しさを思わせるように変化した「花屋の爺さん」は、ラストの「花屋の爺さん夢に見る、売ったお花の幸せを」がとても印象深かったです。1曲目からの流れで、娘をお嫁に出した男親の心情の暗喩とも考えられるなと、個人的にはそう思いました。ドラマチックなピアノの序奏から入った「雪」は、はじめ「青い小鳥が死にました」と淡々と歌われたのに、ぎょっとした私。しかし後半、魂が天に召される描写ではソプラノもピアノもとても温かで、ちっぽけな存在への愛を感じました。深読みするなら、3曲の流れから「青い小鳥」は遠くへ嫁いだ女とも考えられるかも?大切な作品を心の込もった演奏で、良いものを聴かせて頂きました。
後半はドイツ歌曲で、演奏に合わせてスクリーンには中江さん訳による日本語訳が映し出されました。初めはクララ・シューマンの作品から2つ。「ワルツ」はピアノによるワルツの軽快なリズムに乗って、春の咲き誇る花のように歌うソプラノにホレボレ。私は、中江さんのドイツ語の発声、特に語尾で鼻に抜ける感じの柔らかい発声が好きなんです!これが聴きたかったの!と自席でひとり喜んでいました。歌詞を追うと、どうやら男が若い娘にアプローチしている内容。「一度咲いてしまったものは、二度と咲くことはありません」といった趣旨のところが、ソプラノもピアノも意味深な響きになったように感ました。「我が星」は、会えない夜に愛する人を思う内容でしょうか。透明感あるソプラノに、夜空の広がりを思わせるピアノがとっても素敵!一定のリズムを刻むピアノが、高音キラキラではなく厚みのある響きだったのにはぐっと来ました。クララの夫・ロベルトや友人・ブラームスの作品に見られるピアノ伴奏と似ている気がして、個人的にうれしかったです。それにしてもクララさんのラブソング、とってもピュア!初聴きだった今回の2曲を、私はすっかり好きになりました。
そして今回の山場、ロベルト・シューマン「女の愛と生涯 作品42」。おそらくは平凡な女性が恋をして結婚・出産して……というストーリー。愛に一途な一人の女性が目の前にいるように感じられる演奏で、私は最初から最後まで没頭しました。1曲目は、恋をして「何も見えなくなったみたい」という女性の心情。控えめなピアノに、ひとりで物思いにふける感じのソプラノが、純粋でうぶな乙女のようでとっても素敵!2曲目は、彼は素晴らしい人と讃えながらも、自分は不釣り合いだと卑下しふさわしい女性と一緒になるのを願う内容。力強い演奏は、自分に言い聞かせている感じもしました。3曲目はあこがれの彼が自分を選んでくれた戸惑い、4曲目は婚約指輪を身につけて静かに結婚への覚悟を決める内容。あんなに不安な気持ちでいっぱいだったのが、結婚が決まると彼と生きる道を迷わず進む、その変化がとても印象的でした。5曲目、結婚式当日に花嫁衣装を身につける際に、手伝ってくれている妹たちへの語りかけ。自分の幸せのことで頭がいっぱい(それでいいと私は思います)と思いきや、ラストは妹たちとの別れにしんみり。ピアノの後奏がちょっと切なく余韻を残したのが素敵。6曲目は、直接的な表現はありませんでしたが、おそらく初夜を迎えた後に妻が夫に語りかけているシーン。個人的にはこの曲が最も印象深かったです。娘が女に生まれ変わった、というのは肉体的な意味では無く精神的な成長という意味で、そう感じられました。ゆったりとした揺りかごのようなピアノに、優しく愛に満ちたソプラノが神々しい!娘時代は不安で揺れる自分の気持ち中心だった女性が、今や夫を胸に抱き寄せて愛で包んでいる!すごい!中江さんのお声が愛に満ちあふれていて素敵すぎました。揺りかごの置き場所を確認して、赤ちゃんを待ち望んでいるといった歌詞も印象に残っています。7曲目は、赤ちゃんが生まれて喜びを歌う内容。スキップのようなかわいらしいリズムを刻むピアノに乗った、意思が感じられるソプラノに「母」になったという自覚がうかがえました。そして終曲は……どうやら私は盛大な勘違いをしていたようです。大変失礼しました。後日復習しようと日本語訳を見直した際に、ようやく自分の解釈間違いに気付きました。思い込みが激しい性分で、お恥ずかしい限りです。他にも細かな思い違いはあるかもしれませんが、この終曲の件は許容できる範囲を超えていると思いますので、終曲についての私の感想はここには書かないことにします。一番の肝である終曲を正しく受け止められず、申し訳ありません。
ここでトークが入りました。作品を通じて、昔も今も同じような苦しみがあると思えること。まだまだ世の中は不安定な状況でも、音楽に触れることで心の中のわだかまりが少しでも晴れてくれたら……といった趣旨のお話がありました。そして最後の演目であるシェーンベルク作品についての紹介へ。ちなみに中江さんは大学院では近現代の音楽の研究をされていたそうです。シェーンベルク新婚当時に、妻がシェーンベルクの友人の画家と駆け落ちした(!)頃に作曲された作品で、不安定さと妻への熱い想いがあるとのこと。十二音技法より前の、官能的でシェーンベルク本来の姿が浮かび上がる、といった解説でした。
プログラム最後の曲はシェーンベルク「4つの歌曲 作品2」。男性が女性を想う愛の歌でした。1曲目は、月明かりを思わせる幻想的な響きがとっても素敵!2曲目は、翻訳を目で追っていると、暗喩でも性的な表現が出てきて私はぞっとしてしまいました。肉欲から離れられない男の性を頭では理解しても、気持ちはどうしても受け入れられず(ごめんなさい!)。しかし音楽は美しく、女の愛を求める男の切ない気持ちが感じられ、胸打たれました。3曲目は華やかなピアノに高らかに歌うソプラノが情熱的で、ロマン派の作品のように感じられ印象深かったです。4曲目は、穏やかで幸せな時間を思わせる音楽で、繊細で優しい響きのピアノと、一層柔らかいお声のソプラノの重なりが素敵でした。男性の愛だってこんなにロマンティック!シェーンベルクにこんな一面があったなんて!作品の紹介と素敵な演奏に感謝です。
アンコールは越谷達之助「初恋」。最後にゆったりとした穏やかな音楽で中江さんの美しいお声を聴けてうれしかったです。「初恋の痛みを」と高い声で切なく歌うところがとても印象的でした。恋や愛の痛みは、真剣に向き合ったからこそ!今回の演奏会は、魂が揺さぶられる演奏を通じて、様々な人生を生ききったスペシャルな体験でした。本当にありがとうございます!これからも中江さん&新堀さんデュオによる演奏を聴きたいです。ぜひ企画と開催を続けて頂きたく、お願いします!
ソプラノ中江さん&ピアノ新堀さんがご出演された、昨年度のウィステリアホールプレミアムクラシック 「ソプラノ・クラリネット・ピアノ」(2021/11/07)。ブラームスの歌曲とクラリネットソナタ。めずらしい編成でのシュポアとシューベルト。アンコールに至るまで、耳に身体に心地よい響きで、ずっと聴いていたい演奏でした。
ウィステリアホールのプレミアムクラシック、前回は「バリトン&ピアノ」(2022/06/05)でした。ヴォルフとシューマン、いずれも詩人・アイヒェンドルフの詩に曲をつけたドイツ歌曲。作曲家の個性の違いが楽しく、愛あふれるトークと演奏のおかげで食わず嫌いの私でもヴォルフを楽しく聴けました。
最後までおつきあい頂きありがとうございました。