自由にしかし楽しく!クラシック音楽

クラシック音楽の演奏会や関連本などの感想を書くブログです。「アニメ『クラシカロイド』のことを書くブログ(http://nyaon-c.hatenablog.com/)」の姉妹ブログです。

「さっぽろ劇場ジャーナル」第4号(2019年9月発行) 感想

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2019年9月末に発行された「さっぽろ劇場ジャーナル」第4号。年が明けてしまいましたが、遅ればせながら感想を書くことにしました。実は発行された当初、個人的に少し思うところがあって感想を書けずにいました。ところが年末年始の帰省中に読み返したところ、なにこれ面白い!と素直に感じ、とにかく今の自分の考えを書き留めておこうと思ったのです。ふとした瞬間に改めて手に取り、読み返すことができるのが紙媒体の強みですね。何年か後に読み返したとき、私はきっと今とは違う感じ方をするでしょうし、そうであるなら今どのように読んだのかを書き留めておきたいと考えました。誰のためでもなく未来の私のために。

少し本筋とはズレた話になりますが、ジャーナル本紙の紙質は良いようで、スーツケースの中でもクシャクシャにならず、広げて読むときにはビシッときれいな状態になっていました。この先ずっと保存して何度も読み返すことを考えると、上質な紙で作られているのはありがたいです。余談ついでに。ブラームスは、自作品を売り込みに来た無名の作曲家に「良い五線紙だね、どこで買ったの?」と言ったそうですね。ひどい人だわ(笑)。もちろん私は紙のことばかりではなくちゃんと中身について書きますよ。言うまでも無く、「さっぽろ劇場ジャーナル」の文章はいずれも骨太で内容充実していますから、中身こそが大事!

ちなみに前回第3号の感想も弊ブログにアップしています。以下のリンクからどうぞ。お取り寄せ方法についても紹介しています。 

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熱心に書いたつもりの第3号のレビュー記事、なんと検索圏外なんですよね…。もしかするとステマと判断されてペナルティを受けたのかもしれません。改めてお断りしておきますが、弊ブログの記事はいずれも私自身が書きたいことを自由に書いています。アフィリエイトすら行っていない弊ブログにおいて、誰かに頼まれたテーマで書いたり宣伝を請け負ったりすることは、今までもこれからも絶対にありません。そして全ページレビューをする人はめずらしいので目立つかもしれませんが、読者代表を気取るつもりはさらさらないです。専門的なことは何も分からず思いつきしか書けない私ですから、意味があるとするなら書いている私が楽しい、それだけです。なお前回第3号の感想は結果的にほぼ100%肯定になりましたが、今回第4号では否定的なことも書いています。また前回と異なり、今回は感想を書くことを事前に編集部の皆様に伝えていませんし、私のツイッターアカウントでの案内もしません。ブックマークや検索経由で見つけてくださったかたのみに読んで頂けたらそれで良いと考えています。いつも私の長文にお付き合いくださる読者の皆様には感謝しています。

それでは目次に沿って順番に見ていきます。ちなみに「さっぽろ劇場ジャーナル」第4号にレビューが掲載されているコンサートのうち、私が実際に聴いたのは「PMF GALAコンサート」と「札響定期演奏会(4月から8月の4公演すべて)」です。思えばKitara大ホールにばかり足を運んでいた2019年度上半期でした。また今回は弊ブログのコンサートレビュー記事へのリンクは貼りませんので、興味を持たれたかたはお手数ですが過去記事アーカイブを遡ってお読み頂けましたら幸いです。


1面から3面は「PMF30周年」。まず1面では、さっぽろ芸術文化研究所代表の伊藤佐紀さんとPMFフレンズ(賛助会員)の吉川宗男さん、そして多田編集長による寄稿文が掲載されています。紙面を手に取り、一番はじめに目に入るところに一般のかたの文章があり、私は良い意味で驚きました。我が街札幌における音楽祭への思いは人それぞれあると思いますし、そんな私達と目線が近い人のお考えを紙面で読めるのはうれしいです。今後もこんな寄稿文や座談会などの企画があると面白いと思います。もちろんご無理のない範囲でお願いします。そして多田編集長による文章を拝読し、やはり私達とは別の目線で物事を見ていらっしゃるなと改めて思いました。昭和の「空洞化された理想主義」が平成で「露悪的な本音主義」に振り子の針が振れたというお話は、私も肌感覚でぼんやりそう思っていたことだったので大変面白く拝読しました。平成の30年とともにあったPMFが時代の変遷とともに今後どのようになっていくのか、私もしっかり見届けようと思います。しかし私今までこんなこと考えもしなかったです…。マーラーを頻繁に取り上げるのは、大編成のためアカデミー生が全員参加できるから程度にしか思っていませんでした。とはいえ機械的な決定のような無意識の部分にこそ本質が現れるのかもしれませんね。

2面の上半分はPMF Pick up!(1)としてGALAコンサート(マリン・オルソップ指揮)を取り上げています。私が今年のPMFの大きなコンサートで唯一聴いたものだったので、興味深く拝読しました。今年のオーケストラ公演で一番かつ近年でも最高レベルの演奏との評価、素直にうれしいですし私はこの公演を選んでよかったと思いました。またGALAコンサートは演目が多いためか、記事で触れられた演目はごく一部のピックアップでした。メインで解説しているのはプロコフィエフ「古典交響曲」。正直私はノーマークの曲でしたが(申し訳ありません)、素晴らしい演奏だったのですね。私もう一度聴き直したいです。続いて講師陣も参加したR.シュトラウス「バラの騎士組曲」も高評価。なお、多くの人が注目するであろう、ゲストのスターソリストについてはごく軽く触れるにとどめていました。

2面の下半分はPMF2019 その他の公演をダイジェストで。大小様々なコンサートが開催されるPMF、今回こちらで取り上げられているのは「ホストシティオーケストラ演奏会(バボラク指揮)」「PMFプレミアムコンサート(エッシェンバッハ指揮)」「hitaruスペシャルコンサート(クリスチャン・ナップ指揮)」そして「PMFオーケストラ演奏会(ゲルギエフ指揮)」。重量級の公演揃いにもかかわらず、この限られた字数で重要ポイントをきちっとおさえているのはさすがです。連日コンサート三昧だった音楽ファンのかたなら、復習にきっと役立ちますね。なお上のGALAコンサートとは違い、レビューは全体的に注文が多い印象でした。今回のアカデミー生の技量は高いとのことなので、やはり超多忙な世界的指揮者の問題?と考えるのは自然の流れかも。最後の方に書かれてある、カリスマ指揮者が統率する20世紀のカルチャーからの脱却は、確かにこれから考えるべき課題なのかもしれません。有名な世界的指揮者が札幌に来る!と市民の一部のミーハーな向きには歓迎されても、肝心の音楽の完成度がイマイチならいずれはそっぽ向かれてしまうでしょうし。そもそもアカデミー生の勉強の場としてうまく機能しないのは問題です。また、私は演奏そのものとは別の部分で「hitaruは大編成のオケが本当にクリアに響く」とあったのが目にとまりました。私が見えている範囲では、hitaruって評判が良くないので…。別の機会にhitaruの良さについて解説して頂けたらうれしいです。いずれはkitaraもぜひ!

しかし2面のこのスタイル、ぺらっと一枚めくって4面の札響定期も同じくピックアップとダイジェストの構成なんですよね。オケも指揮者も演目も違いますから内容は当然異なるものの、ぱっと見て似た感じのページが続くと、読者の中には読み飛ばしてしまう人もいるかもしれないなと少しだけ思いました。PMFは毎年のことなので、もし可能でしたら来年は少し変化をつけてみるとメリハリがつくかもしれません。PMFのオケは毎年一夏限りでお祭り要素もあると思いますから、札響定期よりは遊び心が入れやすそうです。例えば、その他の公演については多くのコンサートを聴き歩くファン数人と多田編集長による座談会をやってみるとか。実現可否を考えずに勝手を言っていますからどうぞ軽く聞き流してください。

3面上段ではPMF Pick up!(2)としてPMFウィーン演奏会を取り上げています。編集長は毎年お聴きになっているようで、例年の様子と比較しつつ今年のレポートをしておられます。今年は例年よりもお客さんを楽しませようという姿勢が見られたとのこと、よかったです。そしてたとえ相手が大ベテランであってもその演奏をまるっと信じず、弾けていなかった部分の指摘も容赦ないところはさすがです。また前年2018年の公演のレビューを拝読したときも同じ事を思ったのですが、この講師陣による弦楽四重奏団の演奏は、詰まるところ第1ヴァイオリンのライナー・キュッヒル次第で善し悪しが決まるのかな?という印象を受けました。

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なお、2018年の公演についてはweb版でレビューが公開されています。上のリンクから読めます。ちなみに2018年の公演は私も聴きました。猫に小判状態で当時の私はその良さをきちんとわからなかったのですが、「さっぽろ劇場ジャーナル」のレビューのおかげで復習でき助かりました。

3面下段の連載コラムについては最後に書きます。


4面から5面は「札幌交響楽団」。見開きで、左ページは定期演奏会のレビューです。偶然にも私は今回レビューされている札響定期はすべて聴いたので、私は自分の記憶を辿りつつレビューを拝読しました。そして自分が何もわかっていないことがわかり凹むわけですが(苦笑)、これは今に始まったことではないですし、めげずに読み進めます。上半分では、4月(尾高忠明指揮)・6月(ユベール・スダーン指揮)後半・8月(マティアス・バーメルト指揮)の公演を駆け足でレビューしています。私が自分のコンディションのせいでまともに聴くことが出来なかった4月、この日の尾高さんのお仕事はここ数年と比べて「元気がなかった」とのこと。尾高さんは休養に入る直前でしたし、精神的にも肉体的にもしんどかったのかもしれませんね。そんな大変な中でお仕事してくださったことに頭が下がります。私が前半の竹澤恭子お姉さまで燃え尽きてしまった6月後半は、こちらのレビューでは辛口評価。もしかすると指揮者にもオケにも疲れが出たのかな?とちらっと思いました。前半は1曲目も長かった上に、協奏曲はソリストの気迫を全力で受け止めなければならず、そこに来て後半は大編成かつ演奏時間も長かったので。そして個人的に大好きなブラームス中心プログラムで超気合いが入っていた8月は、ダイジェストコーナーの半分近くの字数を使ってレビューされており、こちらは良い点だけが書かれていました。個人的に大絶賛なのは私のえこひいきかも?と心配だったのが、少しだけ安心できました。

下半分のピックアップでは5月のフランスプログラム(マティアス・バーメルト指揮)を詳細に。私はセット券「バーメルトの四季」の特典である練習見学会にも参加した演奏会です。練習見学会でのバーメルトさんは私達に一つも専門的なことはおっしゃらず、一般的な言葉で曲についてのイメージをお話してくださいました。ちなみに1曲目は「緻密」、2曲目は「道化」、3曲目は「シリアス」とのこと。しかしお客さんにはそんなふわっとした言葉で説明したにもかかわらず、マエストロは細部までしっかりと音楽を創りあげていらしたわけですね。私、何も分からず聴いていたのが申し訳ないです。レビュー冒頭では「音楽はいつも統制下にある」「オーケストラとはこのように細かくコントロールすることが可能なのであり、また、そうしたときにだけ立ち現れる美があることを21世紀の私たちは知ってしまった」とバーメルトさんを高く評価。もちろんそれに応えられる札響だってすごい!と私は思います。「幻想という作品は、曲のプログラムがすべて言葉で説明されてしまっており演奏家に解釈の余地がないところがある」…そうですよね。なので私はてっきり高いレベルの指揮者とオケならどの演奏でも大差ないのではないかと誤解していました。ところがバーメルトさんと札響による演奏は「醒めたバーメルトの視線が、リアルよりもハイパーリアル的虚構の世界を切り開いた」と、大変素晴らしかったとのこと。スコアに忠実でありながら、そのすべてに意味があるように聴こえるとか、(バーメルトさんがこだわるという)弱音はオーケストラ芸術の極致のような難しさが目の前で難なく展開されているとか、大絶賛。上のダイジェストとは違い字数があるため、スコアの細かな部分でどのように演奏したかという分析も丁寧。私はこれしか聴いていないのは恵まれているはずなのですが、同時に比較対象を知らないためその良さをきちんとわかっていないもどかしさを感じます。前半2曲についても高評価でした。しかしたった一度通して聴いただけの生演奏をこれだけ細部にわたり分析できるとは、編集長はものすごい集中力で聴いておられますね。私は素人な上に音楽的知識がないため比べてはおこがましいのを承知の上で書きますが、自分がレビュー書くときはこんな細かなこと思い出せないです。まず知識がないため重要なところでも素通りしてしまうのが大きいとは自覚しています。そもそも演奏中の集中力はそんなに長くは続かず、お目当て以外の曲ではぼんやり聴いていたり、好きな曲でも緩徐楽章ではBGMのように聴いたりしているせいでもあると思います。演奏会から帰宅したら数日はぐったりしてレビュー着手まで時間も空くためますます忘れてしまいますし、結果「楽しかった!」という気持ちだけしか書けません(苦笑)。私の場合は一個人の趣味ですから自分が楽しければそれでいいのですが、それでも後からこうして詳細で専門的なレビューを拝読できるのはありがたいです。自分が感激したところの理由がわかることもあれば、スルーしてしまった部分でも後からその重要さを認識できることもあり、本当に助かっています。そしてできれば全部の公演をこのピックアップくらいの詳しさで読みたいです。とはいえ紙面に限りがある上に執筆のご負担は大きいと思われますから、贅沢は言えません。また個人的にはピックアップするならテレビ放送もあった8月にしてほしかったですが、これは個人の趣味ですので軽く流してください。

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なお6月公演の前半、ソリスト竹澤恭子によるプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番についてのレビューが特別篇としてWeb公開されています。上のリンクから読めます。私は3月のふきのとうホールでの竹澤恭子リサイタルで人生変わるほどの衝撃を受け、完全に彼女のとりこになってしまっていたため、札響と共演するこの定期演奏会はとても楽しみにしていました。金曜夜と土曜昼の2回聴き、またもや打ちのめされて、確かに魂が震える経験をしたのに「お姉様カッコ良すぎ!しびれる!」と語彙力お留守なことしか言えないのがもどかしかったです。しかし「さっぽろ劇場ジャーナル」のレビューではその詳細が明文化されているので助かります。同じ演奏を聴いていた強みで、演奏のどの部分の解説なのかがわかるのもうれしいです。「空間的多様性」なんて私は逆立ちしても出てこない表現にすごい!となったり、そうそうここはお姉様めちゃくちゃ速い演奏だったとうなずいたり。あといつも思うのが、四分=138といったテンポの判断はどうしているのかということ。時計を見ながら聴いている?それとも体感でわかる?そして譜例をあげての詳細な解説では、私の記憶がはっきりしているところとあいまいなところがあって、もう一度聴いて確かめたいなと叶わぬ願いですがついそう思ってしまいました。それにしても、編集長は竹澤恭子お姉様のこと大好きすぎますよね!いえ私も人のことは言えません(笑)。


札幌交響楽団」右ページは定期演奏会以外の記事です。左上では名曲シリーズから、下野竜也指揮で「作品の価値を刷新するような音楽が連続し唖然とさせられた」という6月を簡潔に、そして2018年あの地震で中止となり一年越しの本番が実現した鈴木秀美指揮の9月を取り上げています。2公演ともツイッター上での評判が良く、私も行けば良かったなと後から思った公演でしたので、レビューを拝読できうれしいです。往年の指揮者との比較で、札響の演奏が優れている趣旨の記述を拝見すると、私はまるで自分のことのようにうれしくなります(図々しい)。そして右上の札響の名盤(2)は、朝比奈隆指揮・1978年第188回定期演奏会の録音であるブルックナー交響曲第4番(ハース版)。朝比奈さんはブルックナーの大家で、当時の彼の特徴がわかるという73年に大フィルで振ったブル5も「ついでにぜひ聴いてほしい」と紹介されています。しかし「大自然のエネルギーに飲み込まれていく」と朝比奈さんを讃える一方で、当時の大フィルの下手さ(!)の形容がなかなかに辛辣です…。かたや78年の札響は「美感に驚く」(褒めてる!)。40年以上前の演奏ですので札響のメンバーは今ではほほとんど入れ替わっていると思われますが、「弦の明るい響きと伸びやかな歌はまぎれもなく今に通じる札響のそれだ」とのこと。人が入れ替わっても受け継がれる性質というのがあるのですね。また、ハース版とありますが、フィナーレだけはノヴァーク版になっているのだそうです。聞き取れる人であればこういったところも楽しめますね。朝比奈さんと札響の個性の「素晴らしい邂逅の記録」と大絶賛なので、私も機会があれば聴いてみたいと思います。ブルックナーは私にはまだ早い気がするのでそのうちに。あと、もしかするとツッコミ待ちかもしれないので一応触れておくと「厚生年金が吹っ飛ぶような宇宙の咆哮」って、「厚生年金会館」ですよねきっと。厚生年金は吹き飛んじゃ困るかなと。たんに誤字脱字の見落としでしたらごめんなさい。

右ページの下半分は9月4日の海道東征レビュー。北海道初演で、ネット上では大変話題となっていました。ちなみに配られた歌詞カードのルビがめちゃくちゃだというのも話題でしたが、これについては記事では触れられていませんでした。演奏については八章すべてを詳細にレビューしていて、記録としての価値も高いと思います。和製賛美歌・和製第九・ヨナ抜きといった MADE IN JAPAN を思わせる表現が見られる一方で、使用されている和声等がワーグナー的との指摘が大変興味深かったです。また、年末恒例の第九以外で独唱数名と合唱団が入る比較的めずらしい演奏でもあり、各独唱と合唱団の歌い方について詳細に書かれてあるのも大変良いと思いました。「太平洋戦争中に出陣の壮行に幾度も演奏」されたという海道東征。終盤の「音楽は常に政治利用と隣り合わせだった」は、ワーグナーヒトラーの例をあげるまでもなく、そんな危険性を聴き手である私達は常に意識しておく必要があると改めて思います。

そして、2019年9月には札幌交響楽団名誉指揮者のラドミル・エリシュカ氏の訃報がありました。個人的にはほんの一言でもいいので紙面で触れて頂きたかったなと思いました。印刷にまわった後なら致し方ないかもしれませんが、9月7日の名曲シリーズについて言及しているので(札響から訃報のお知らせが出たのは9月2日)、掲載タイミングは間に合ったようです。ギリギリでのレイアウト変更は難しかった、編集方針と合わない等の事情がありましたら申し訳ありません。


6面は「トゥーランドット』全幕レビュー」。私は公演直後のツイッター上での賛否両論の評判と編集長のツイートを拝見し、紙面では一体どのような記事になるのかと少しハラハラしながら発行を待っていました。編集長はご自身を「否」の立場と明言した上で、どこが良くないのかは根拠を示した上で書き、それでも細かな部分では良かったところにも言及しています。どうやら演出が斬新だったようですが、作曲者のプッチーニ自身が迷った部分でもあり、絶対に間違いとは言い切れないそう。それでもわかりやすさを追求したために辻褄が合わなくなったり安っぽくなったりといった無理が表出したとのこと。私は観ていないため書いていることを信じるしかないのですが。とはいえ演奏や歌手の歌い方の分析や、日本語訳で難アリ箇所の指摘といった部分は、演出の賛否とは関係なくどなたでも読んで参考になるはず。そして「否」の根拠の一つとして、この作品は一般的に言われているよりもワーグナーの影響が強いと書かれていましたが、知識のない私にはピンときませんでした。申し訳ありません。編集長はどっち付かずの態度は取らず、対立構造にはしないで「否」の立場を貫いたのは誠実だと思います。一方、その膨大な知識量と圧倒的な筆力で「否」と書かれては、「賛」の人の中には自分の感じ方を否定された気がして腹が立つ人や、「賛」の自分が間違っているかもと不安になる人もいるかもしれません。しかし、そんな人たちでも自分の正直な気持ちで「賛」なら何も恥じることはないはずです。娯楽作品の感じ方にただ一つの正解があるわけではないので、本心で「よかった」と思えるのなら何も問題はないと個人的には考えます。お話そのものに重きを置かず、その壮大な音楽に歌声にビジュアルに、積極的に酔うのは大いにアリかと。そもそもオペラのお話はどれも無茶苦茶ですし。また、私自身マミーブレインの時期はとにかくわかりやすいお話を好んだ覚えがあるので(今も大して変わらないかも・汗)、わかりやすいお話の存在とそれを好きな人の気持ちは否定したくないです。そうではなく、その「よかった」は心からの「よかった」なのか?が重要なのだと思います。違和感を覚えたにもかかわらず、オペラの古典的演目だから、有名な演出家の斬新な演出だから、チケット代が高かったから等で、もし自分の気持ちに嘘をついて「よかった」と思うことにしたのなら、それは大問題なのでは?

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皆様にはweb公開された「ゴジラvs札響~伊福部昭の世界~」をぜひあわせてお読み頂きたいです。上のリンクから読めます。私自身は行っていない演奏会ですが、ツイッター上の感想では「よかった」の声が多かったと記憶していますし、終盤で取り上げられているKitaraの印刷物も話題となっていました。私、このゴジラの記事を拝読したとき震えたんですよ。権威的なものに従う等で自分の正直な感受性を押し殺すことがクセになってしまうと、本当に自分の感受性がだめになってしまうというのはとても恐ろしいこと。ただ、私自身がそうなのですが、踏んだ場数が少ないと自分の中にしっかりした判断基準がないんですよね。自分は何も分かっていないと自覚するからこそ、実績や権威がある団体や人の言うことなら間違いないだろうとつい頼りたくなってしまう。それでも、何のために生演奏を聴くのか?と問われれば、自分が楽しみたいからに決まっているわけです。誰のためでもなく自分のための楽しみなら、なおさら自分の感受性は大事にしないといけないなと改めて思います。そのためには安易に流されないこと、そして何より自分自身を一番に信じてあげることを肝に銘じます。もちろん経験値と知識が増えることによって、後から捉え方が変化するのだってアリです。どんな場合でも、その時の自分の感受性を信じ自分で決めることが肝要。


7面は「ふきのとうホール」。上半分はPick up!として8月の小菅優ピアノリサイタルを取り上げています。私が行くかどうか悩んでいたら、あっという間にチケット完売になった公演です。実演を聴けなかったのは残念ですが、レビューを拝読すると素晴らしい演奏だったのがうかがえ、雰囲気だけでも文章で楽しめてよかったです。実際に会場で聴いたかたなら、感激を思い出せてさらに理解が深まったのでは?ペダルの使い方などの奏法や調律等にも触れており、やはり編集長は相当ピアノが弾けるかたとお見受けしました。もちろん譜例をあげての詳細な解説も充実していて、さらに楽譜とは異なる弾き方をした部分も見逃していません。こういったところは、一般の人で気づける人は滅多にいないと思われ、記録の意味でも大変重要なはず。そして私のような素人にも響く詩的な表現、例えば「滝が水しぶきをあげるように」「子供の頃に聴いたうろ覚えの曲を思い出そうとして口ずさむように」といった表現も盛り込まれているのがニクイです。演目については、1曲目ヤナーチェクの「内面的」というのがとても印象的で、実際の演奏を聴いて確かめてみたいと思いました。そして休憩中にブラームス作品にあわせて調律していたとは!ブラームスは小品が2曲「だけ」と思ってチケット買うのをためらったのが悔やまれます。ベートーヴェンピアノソナタ2曲はいずれも演奏機会が多い曲で、それだけに耳の肥えたお客さんも多かったはずですが、そんなお詳しいかたをも唸らせる詳細な分析が素晴らしいです。詳細部分については、私は書かれてあることをそのまま信じるしかできませんが、音楽にお詳しいかたでしたらあるいは別の見方があるのかも?とぼんやり思います。内容の正誤は別としても、そういったことを言ってくださるかたが現れるとレビューを読み返すのがもっと面白くなりそうです。

そして下半分は4月から8月の主催公演をまとめてレポート。バラエティに富んだ公演揃いで、7月を除くすべてをお聴きになった編集部の皆様がうらやましいです!気になる公演すべてに足を運べる人というのはなかなかいないと思うので、レポートは実際に聴けなかった人にとってもありがたいと思います。しかし編集長の知識の多さには毎度驚かされます。ドイツ語にもお詳しければ、チェロで出せない音色をギターで奏でたとの分析(どちらの楽器もわからないとこんなことは言えないですよね)まで、お一人でそこまで理解できている人はそうそういないのでは?そして限られた字数でぎゅっと内容の濃いレポートはさすがですが、高望みとはいえここで書き切れなかったことも知りたいなと思いました。例えば5月の大谷康子とイタマール・ゴランの演奏会。事前にweb公開されたインタビュー記事ではR.シュトラウスソナタがイチオシとして語られていたので、それは一体どんな演奏だったのか気になります。「取り上げたすべての作品の様式美を大切にしていた」とのまとめ方では、具体的に各作品をどのように演奏したのかがわからないので…。あと、ふきのとうホールは大変素晴らしいホールですが、札幌には他にも小さなホールがたくさんあり様々なコンサートが開催されています。今後もし可能であればそういったホールでの演奏会も取り上げて頂けたらうれしいです。もちろんご無理のない範囲でお願いします。


8面は「ジャン・チャクムルと辻井伸行 二つの身体」と題し、8月のコンサートレビューとあわせて、タイプが異なるお二人のピアニストについての独自の分析が書かれています。舞踏家・最上和子を例に挙げての身体表象についてのお話は哲学的で、私自身まだきちんと把握できていませんが大変面白かったです。そして、ジャン・チャクムルは「まず外に形を作る身体」で辻井伸行は「内側に作る身体」と分析。また辻井さんが全盲であることに理由を求めていないのは好印象です。もちろん分析はあくまで一つの考え方であり絶対ではありませんが、それぞれのファンが別のピアニストに興味を持つきっかけになるはずですし、それによって下に続くコンサートレビューも両方読んでみようと思うきっかけになるかもしれません。こんな読者の興味を広げる工夫は大歓迎です。レビューに移ると、「ジャン・チャクムルの場合」では、彼は注目度は高いもののまだ発展途上でこれからどのように成長を遂げるのかは未知数なのかな?と個人的には感じました。彼の個性である部分は最大限に尊重し良さを認めつつも、演奏の細かな部分をきちんと分析してなぜ今の演奏がまだまだなのかという根拠を示しているのはさすがです。一般の人には、たとえ違和感を覚えたとしてもそれを言語化できない人は多いと思われますので、このような分析は大変助かります。そして「辻井伸行の場合」では、「純粋」との表現がありましたが、彼は世間に惑わされず自分自身をしっかり確立している演奏家なのかもと感じました。レビューしている8月の演奏会は、まずテレビで人気の辻井さんが主役ですし、ピアノ独奏だけでなく室内楽と協奏曲もというてんこ盛りかつ室内楽はスターソリスト揃いで、こういっては失礼ですがミーハーな人向けの企画という印象は否めないです。しかし記事ではそういった面には一切触れず、演奏のどの部分がどのように素晴らしかったのかを限られた字数の中でも効果的に語られています。すぐ上のチャクムルさんの記事よりは音楽の専門用語は控えめで感情に訴える表現が比較的多く、ミーハーな人であっても腑に落ちる感じで書かれてあるのも親切だと思いました。とにかくきちんと辻井さんの音楽について書かれてあるのが良かったです。よく考えれば当たり前のことなのに、メディアに登場する彼はいつも全盲であることばかりが強調されている気がしていたので。今注目される若手ピアニストお二人についての書き方は、いずれもイメージ先行ではなくしっかりと音楽性を見極めている印象で、他のメディアのかたにもぜひ読んで頂きたいと思える記事でした。

 

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皆様にはweb公開された「舘野泉 特別インタビュー」をぜひあわせてお読み頂きたいです。上のリンクから読めます。舘野さんは「左手のピアニスト」。辻井さんが一般的にそう見られているように、ハンディキャップのあるかたというのはその部分ばかりクローズアップされ「物語」を消費されがちです。しかしそのせいで音楽家として大事な部分を見落としてしまうのは本末転倒。ハンディキャップは個性の一つとして捉える程度でちょうど良いのかもしれませんね。インタビューでは音楽作品そのものだけでなくその文化的な背景、ピアノ演奏や作曲についても踏み込んだ質問が次々となされ、それにこたえる舘野さんもノリノリで語っておられます。舘野さんはきっとうれしかったのでは?読み手の私達も、「物語」ではない音楽家としての考え方やそこに至る経緯等を知ることが出来、大変興味深く拝読しました。この回に限らずインタビュー記事は毎回読み応えがあって、私はとても楽しみにしています。あと個人的には舘野泉とラ・テンペスタ室内管弦楽団による日本フィンランド国交樹立100周年記念公演(5/27札幌)のコンサートレビューも読んでみたかったです。しかし札幌で開催されるコンサートは多いですから、すべての公演のレビューを書いて公開するのは至難の業ですよね。編集長のほかにも執筆者がいるとよいのですが、編集長ほどのレベルで書ける人はなかなかいないのかもしれないなとも思います。しかしできるだけ高いレベルの知識と筆力があるかたで、コンサートレビューの一部を任せられるかたが現れてくださることを一読者として願っています。腕に覚えのある音楽ライターのかたがいらっしゃいましたらぜひ名乗り出てください!


最後に、3面下段の連載コラム「言葉と文化(4)」について。同じ内容をweb版で読むことが出来ます。

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紙媒体が配布される直前にweb公開されたため、私は本紙を手に取る前に拝読しました。ツイッターで紹介してくださった事務局さんの評価では「今までで一番面白いコラム」とのことでしたし、「いいね」もかなりの数がついていたと記憶しています。また手元でざっと検索かけて感想を探してみましたが、特に批判的な内容は見つけられませんでした。おそらくほとんどの人が好意的に受け止めたか、特に何も思わないか、あるいは読むのをやめてしまったのだと思われます。しかしごめんなさい。率直に申し上げると、私は今回のコラムは今までの高評価を全部ひっくり返すレベルでまずいと感じましたし、今回の第4号本紙を手に取るのはよそうかとまで思ったほど受け入れがたかったのです。あくまで私個人の感想です。大変申し訳ありませんが、今回の連載コラムについての私の感想は否定的なものになってしまいます。ご了承頂けるかたのみ、以下お進みください。長いです。

私が今回のコラムを肯定できない理由は大きく3つあります。1つめは「大多数の読者が置いてけぼりになる題材」、2つめは「ダブルスタンダード問題」、そして3つめは「未来や希望を語っていないこと」。まずは1つめの題材について。コラムでは、昭和と平成を振り返るのに特撮コンテンツを題材としています。きっと編集長はお好きなのでしょう。観察眼は鋭く分析視点も大変面白い読み物でした。私だってオタクの端くれですから、こんなディープな話は大好きです。しかし、「さっぽろ劇場ジャーナル」で読みたい話ではありません。比較的年齢層が高めのクラシック音楽ファンがメイン読者である媒体で、一体どれだけの読者が最後まで読みとおせるのか、甚だ疑問だからです。そして例えばゴジラなら伊福部昭の音楽があるのでまだ大丈夫かもしれませんが、残念ながら今回の題材は音楽とは関係ないようです。1面のPMFの記事のように、ほんの一部にアクセントとして入れるならともかく、音楽とは無関係の特撮の話が9割なら興味の無い人はすぐに読むのをやめてしまうと思います。折しも2019年度上半期には京アニの事件や元事務次官による長男殺害事件があり、一部の人達にはオタク的なものへの嫌悪感すら生じています。そんな今の状況で、こんな題材を取り上げたのはタイミングとしても最悪。題材に選ぶなら、前号で取り上げた国民的アニメであるドラえもんあたりがギリギリかと。「さっぽろ」という大きな看板を掲げている以上は、「わかるやつだけついてこい」の姿勢で音楽以外の話題でマニアック路線に走るのはまずいと個人的には考えます。どんなに素晴らしいことを語ったところで、読んでもらえなければ意味がないわけですから。万人受けを目指せとか内容をわかりやすくしてとか、そんなことを言っているのではありません。さまざまな読者がいる媒体に載せる文章であるなら、独りよがりになってはいけない、ただそれだけです。

2つめのダブルスタンダード問題について。前回の第3号のコラム「言葉と文化(3)-のび太の夢」には、「人間は過去の成功体験に囚われる。それは仕方がない。しかし、『あのころはよかった病』からはそろそろ足を洗うべきではないか」とありました。私は前号のコラムに大変感銘を受けただけに、今号のコラムには驚きました。悪い意味で。前号から半年しか経っていないのに、同じ書き手が過去作品のリメイクを疑いも無く題材にするなんて、一体何の冗談ですか?過去にヒットした作品のリメイク(今の時代こればっかりですね)なんて典型的な「あのころはよかった病」だと、私は素朴に思うのですが。どんなに優秀な監督が手がけようとも、またどんなに今の時代に即した見事な作品に仕上がったとしても、過去のヒットの栄光にすがっている以上は同じことです。もちろん、人間は矛盾だらけの存在ですし、好きなものについては理屈抜きで語りたくなる気持ちはわかります。それが人間の魅力でもあり、ダブルスタンダードでも個人として発信するならまだ許されるのかもしれないとも思います。しかしこれは「さっぽろ」を名乗る媒体の編集長が、札幌の代表として責任を持って発信している文章です。ダブルスタンダードは頂けないです。そして私がさらに憂えるのは、ネット上の悪意ある第三者に格好の攻撃材料を与えてしまったことです。毎号コラムはweb公開しているため、ネットにアクセスできる誰もが読めます。さらに印刷した紙媒体でも同じ内容を出している以上、取り下げたり大幅に書き換えたりはできません。編集長は札幌外のメディアにも文章を書く機会が増えてきており、今後ますます注目される存在になっていくはずです。しかし注目されればされるほど、妬みアラ探しをする輩も出てきます。そんなネット民が発言力のある人をやり込めるのに、ダブスタは非常においしいのです。編集長なら誰になんと言われても論破できそうですが、そんなつまらない対応に無駄な時間と労力を使うのはもったいないですよね。ただ、ダブスタ指摘は最初に発見した人のモノという風潮があるようですので、まだ誰も言っていないならいっそのこと私が言います。私は敵でも味方でもない一読者ですが、悪意ある第三者に言われるよりはマシかと。やり込める意図はありません念のため。「何を偉そうに。ダブスタ人間の言うことなんか信用できないんだよ!」…無理、私が痛い(涙)。

そして致命的なのが3つめの「未来や希望を語っていないこと」です。これに比べたら上の2つなんてたいした問題ではないです。今のお先真っ暗な日本で生きている私達は、誰もが未来に希望が持てず不安を感じています。時間的にも経済的にもギリギリの生活をしている人が標準になっている今、多くの人が余裕をなくしてイライラしたり攻撃的になったりしていて、とにかく息苦しいです。ささやかな趣味を楽しむことさえ罪であるかのような空気感の中で、クラシック音楽のコンサートを聴きに行くのは現実逃避でしかないのではないか、それだって長くは続けられないのではないか、あとは絶望するしかないのかと私は悲しくなることがあります。巷には怒りや嘆きの言葉はもううんざりするほどあふれかえっているのに、暗いトンネルを抜け出す光はどこにも見当たらない…。そこに登場したのが「さっぽろ劇場ジャーナル」!私は最初期に編集長が創刊への思いを語った「批評精神の躍動を願って」(下の方に当該記事のリンクがあります)および創刊号のコラムを拝読した時、「この人(編集長)は『文句ばかり言って何も行動しない人』とは違うのではないか。少しはその言葉に耳を傾けてみようかな」と思ったのです。そうでなければ、こんな小さい活字びっしりの肩の凝る文章を読もうなんて思いません。そして今までの連載コラムはすべて、最後には必ず編集長自身が考える未来を見据えた展望が書かれてありました。現状がどんなに嘆かわしいものであっても、かすかな希望の光が見えることが救いでした。編集長はその文章を拝読する限り、物事がよく見えていて目を背けたくなる現状さえもしっかりと見定めており、ただの気休めで叶わぬ望みを言っているわけではないと私は信じています。だからこそ、その発言には重みがあると感じましたし、私も自分の頭で考えようそして未来を少しでも明るいものにしようと勇気が持てたのです。

さて今回のコラム。タイトルから考えると、本来これからの未来である「令和」について書かなければならないはずなのに、ほぼすべてを昭和と平成という過去の分析に費やしています。しかも字数がつきたのか、最後は未来の展望をリメイク作品の監督に丸投げして文章が終わっています。これは完全にアウトです…。タイトル詐欺という以上に、今までの信頼をふいにしたという意味で。私は「さっぽろ劇場ジャーナル」の文章は紙でもwebでも一般公開されたものはすべて拝読していますが、たとえどんなに辛辣なことを書いていて読み手が痛みを感じようとも、編集長は必ず未来を見据えた言葉を語ってくれると信じたからこそ、私は読むのをやめずついてきたのです。だから、勝手に期待した私が悪いと言われればそれまでですが、大事な大事な未来の展望を語らないばかりか人任せにした今回のコラムに、私は大いに失望しました。私は何もその発言にすがり盲信したいわけではありません。そもそも権威的なものに異を唱える媒体が、新たな権威になるなんておかしな話です。そうではなく、お先真っ暗な今の世の中の、ほんの少し先を照らしてほしいのです。だって札幌の地域文化を言葉で牽引するメディアなんですよね?ならそれにふさわしい言葉を語ってくださいよ!その先どう進むかあるいは別の道を模索するかは自分たちで考えますから。

以上、コラムを拝読して私が感じたことを率直に書きました。相変わらず重くて恐縮です。そして何か大きな勘違いをしていたらごめんなさい。今回のコラムについては、1面のPMFの寄稿文で似た内容を書いているため、思い切って切り口を変える必要があったのだと拝察しますし、たまには毛色の違う記事を出してみようという試みだったのかもしれません。それでも、杞憂であれば良いのですが、もしこんなところで読者が離れることがあってはあまりにももったいないと私は思うのです。こんなこと考えるのは私だけ?とためらいつつも、こんなふうに読んだ読者もいますよということで。でも一匹見つけたら20匹から30匹は隠れていると言いますから(?)、私みたいに考える人は他にも潜んでいるかも?皆さん隠れてないで出てきてください!一斉に出てきて編集部の皆様をあたふたさせましょう(笑)。


私は本来、少しでも違和感を覚えたらスパッと関係を断ち切り別のステージに進むタイプです。人間関係においてもドラマやマンガ等の創作を楽しむにしても、長く続いたものは数えるほどしかありません。そんな私はしかし、確かに引っかかることがあったにもかかわらず、「さっぽろ劇場ジャーナル」を見限ることができませんでした。なんだかんだ言いながらも結局今回の第4号本紙を手に取り、そして自分が感じた違和感を整理した上で、もう少し付き合ってみようかなと思い直したのです。

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上の「批評精神の躍動を願って」に書かれている「聴き手も、表現の語彙や論理に習熟するほどに、よりよく聴くことができるようになる。様々な意見に触れることで、その語彙や論理はより洗練されてゆく」のに、私はやっと入り口に立ったばかり。まだまだこれからなんです!偶然にも私がアニメレビューブログからクラシック音楽ブログにシフトチェンジしたのとほぼ同じ時期に、「さっぽろ劇場ジャーナル」創刊号が発行されました。不思議なご縁を感じ、以来ずっと愛読しています。記事を拝読することで、本質的なことは何もわかっていない私のフワフワしたイメージが整理でき、聞きっぱなしでは得られない深い理解、そして感激を少しでも鮮明に記憶する手助けになりとても助かっています。余生の趣味にしようくらいに考えていたクラシック音楽鑑賞、まさかこんなに深く味わい楽しめる可能性があるなんて思ってもみませんでした。「可能性」と書いたのは、まだ私自身は底が浅すぎるからです。私は今はまだ思いつきしか語れませんが、私自身が今より物が分かるようになればもっとクラシック音楽鑑賞は楽しくなると思っています。その一つの手助けとなる媒体、同じ札幌の地で同じコンサートを聴き専門的な視点でレビューしてくださる「さっぽろ劇場ジャーナル」があるのは何よりありがたいこと。今回私は否定的なことも書きましたが、それだって考えるきっかけを提示してくださっているからできることで、大変感謝しています。私はこれからも「さっぽろ劇場ジャーナル」の記事を読みたいですし、さらに自分自身が変化した数年後に過去記事を読み返したいとも思っています。そしてこのブログ記事の冒頭で「未来の私のために」と書いたように、つらいけど自分が書いたものも同時に読み返すつもりです。将来の私が、「何勘違いしてるの私。しかもムダに長い!」と今の自分にツッコミ入れられるようになるため精進します。そんな未来が楽しみです。


最後までおつきあい頂きありがとうございました。


※この記事は「自由にしかし楽しく!クラシック音楽https://nyaon-c-faf.hatenadiary.com/)」のブロガー・にゃおん(nyaon_c)が書いたものです。他サイトに全部または一部を転載されているのを見つけたかたは、お手数ですがお知らせ下さいませ。ツイッターID:@nyaon_c